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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 「不老不死の大生命力」で進め!

1998.9.23 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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1  指導者とは「勇気を与える人」
 総県長会議、ご苦労さまです。
 きょうは彼の中日であり、けさも私は、広布の同志と先祖代々の追善をさせていただいた。
 会議を記念し、所感を一言、述べさせていただきたい。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「いくさには大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり
 戦は大将軍で決まる。大将軍が強ければ、兵も強い。全軍が喜び勇んで戦える。
 皆さまは、広布の戦の大将軍である。堂々と、元気に胸を張り、皆を「よおし、やるぞ!」と奮い立たせる。その「勇気」を与えてこそ大将軍である。
 決して、いばるのではなく、皆に尽くし、皆を守りきって死んでいく。それが真の指導者である。
 責任は自分がもち、皆には「安心」を与え、「喜び」を与え、伸び伸びと行動させていく。それが大将軍なのである。
 その名指揮は、音楽のごとし! 会合も指導も、名曲のリズムのごとし! そういう大指導者に成長していただきたい。
2  「生死」こそ一大事
 人間は「最後」が大事である。「総仕上げ」で一生の勝負は決まる。
 仏法では「生死」こそが「一大事」と説く。
 「死」の前には、いかなる権力も、財力も、名声も、何の役にも立たない。ゆえに「生死」を探究せずして、一切は砂上の楼閣である。
 トインビー博士は、「世の中の指導者は、生死という根本の大事を見つめないで、避けている。そこに世界の不幸がある」と言っておられた。
 「死」を見つめてこそ、人は謙虚になり、精神を高める何かを求め、くだらない名聞名利のむなしさを知るからである。それでこそ文明人である。死を考えず、目先の欲望にふり回されているのは野蛮人である。
 トインビー博士自身が、「死」を真剣に思索するとともに、自分の死後のことを、いつも考えておられた。
 バートランド・ラッセル(イギリスの哲学者)の言葉「人間は『自分の死後に、何が起ころうとしているのか』に思いをはせることが大事である」を引いて、「人間は、できるかぎり遠い先のことまで考えて、人生を計画するべきである」とも語っておられた。
 そして博士は私に、「未来において、私はもちろんのこと、若いあなたさえもいなくなり、さらにそれから長い時を経たような時代に、この世界はいったいどうなっているだろうか――このことに私は大きな関心を持っているのです」と言って、私との対談に全力を打ち込まれたのである。
 一流の人はかならず「自分の死後」のことを考えて行動するものである。
 そして博士は、対談の最後に、こう言われた。
 「私は創価学会が、はるかな未来を展望していることを確認しました。これは、われわれすべてが取らねばならない態度です。池田会長は、現実の問題を考えておられる。いな考えているだけでなく、その解決のために、何かをしようとしておられる。会長は行動を起こす人です。私がミスター池田との対談を楽しいと思う理由は、そこにあります」
 ちなみに、私が「これで私は、トインビー学校の卒業生になったわけですが、何点くらい、いただけますか」と聞くと、真剣な表情で「最優等のアルファ(ギリシャ語のA)を差し上げます」と言われたことも懐かしい。
 トインビー博士は、「死」の探究の結論を、仏法の「空」の哲学に求めたと言ってよい。死後も、自分自身の精神の「核」は無くならず、宇宙に溶け込んでいくという考えである。
3  臨終の時、広布の闘士を「千仏」が迎える
 ともあれ、人類の根本問題である「生死一大事」を、いちばん探究し、生死の解決法をいちばん実践し、いちばん広めておられるのは皆さまである。いちばん尊い、いちばん大切な方々なのである。
 「生死一大事血脈抄」には、こう仰せである。
 「臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候
 ――臨終は只今にあり(自分は、今、死ぬかもわからない)と自覚して、真剣に信心に励み、南無妙法蓮華経と唱える人のことを、(法華経には)「この人が命を終える時、千の仏が手を授けて迎え、(死を)恐れないようにさせ、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界に堕ちないようにさせる」と説かれています――。
 絶対の「安心」の死である。宇宙の仏界に向かって、ロケットのごとく、勢いよく突進し、融合していく「大歓喜の死」である。

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