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日蓮大聖人・池田大作

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関西各方面協議会 一歩踏みだせ! 勝利はそこから

1998.5.27 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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1  青年よ「人生のプラトン」たれ!
 昨日は、晴れやかな関西青年部の総会、まことにおめでとう!
 「人類の教師」ソクラテス――。彼も、嫉妬社会の讒言によって、訴えられ、迫害された一人である。
 私は、ギリシャ訪問の際、ソクラテスが投獄されたという、鉄格子のついた小さな岩穴を見る機会があった。(一九六二年二月)
 その獄中にあって、ソクラテスは、こう叫んだという。
 ″でたらめな悪口を言われるほど、私の徳は光を増した″と。
 「わたしの徳は、攻撃に使われた材料そのものによって、かえって光を発することになった。というのは、わたしの徳は都合のよいことに、人前に連れ出されて吟味される結果になったからである。また、徳がどんなに偉大なものかを最も良く知る者は、徳の力を苦しめたうえで、その偉力を実感するに至った人たちだからである。火打石の堅さは、打ってみないと誰にもよく分からないのだ」(セネカ著『人生の短さについて』茂手木元蔵訳、岩波文庫)
 事実、ソクラテスの人格は、悪意に満ちた中傷によっても厳然と揺るがなかった。いやまして不滅の輝きを放った。
 「佐渡御書」には「賢聖は罵詈して試みるなるべし」と。
 賢人・聖人であるかどうかは、ののしって、試してみてわかると仰せなのである。
2  ソクラテスは、さらに語っている。
 「わたしが自分を何かにたとえてみるならば、わたしはまさに海中に独り立つ離れ岩のようなものである。そこには、いずれの方向からも打ち寄せる怒涛が、絶えず打ち当って止まない。
 しかしそのために、怒涛が岩の位置を動かすことはないし、長い年代にわたって繰り返し突き当っても、岩を消滅させることもない。君たちは、わたしに跳びかかるがよい、襲撃を加えるがよい。
 わたしは、耐え忍ぶことによって君たちに勝とう。堅固で打ち勝ちがたい相手に突き当って行くものは、何ものにせよ、結局は自分の災いを招くために、自分の力を使うことになるだけだ」(前掲書『人生の短さについて』)
 これこそ、まことの獅子の言葉である。
 この時、ソクラテスは七十歳。そして、その不二の弟子たるプラトンは二十八歳。ちょうど、今の私と青年部の諸君も同じ年代の開きがある。
 また、二十八歳といえば、昭和三十一年(一九五六年)、大阪で関西の同志と戦った時の私の年齢である。
 ソクラテスは、自分の犠牲は無駄にはならない、若きプラトンたちが正義と執念の大闘争を展開するであろう――と、人々に堂々と宣言していった。
 それから五十余年にわたり、プラトンが、師ソクラテスの言葉通りに真正の弟子の道を歩み抜き、戦い抜いたことは、あまりにも有名である。
 私には、青年部の諸君がいる。なかんずく、「わが関西青年部よ、創価のプラトンたれ!」と申し上げたい。
3  「敵には君のような勇者はいない」
 歴史に名高いハンニバル将軍。地中海世界に、その名を轟かせた都市国家・カルタゴの英雄として強大なローマと戦い続けた。
 その歴史的な決戦でのことである(紀元前二一六年のカンネーの戦い)。
 ローマの軍勢は八万数千。かたや、カルタゴ軍は五万。圧倒的なローマ軍の優勢であった。しかも、カルタゴ軍は川を背にした、いわゆる「背水の陣」であった。
 カルタゴ軍の兵士たちは、眼前の平原に群れをなすローマ軍のあまりの多さに、たじろいだ。ハンニバル将軍の横にいたギスコーという兵士も思わず、「敵軍の何という多さか!」と口にした。
 すると、ハンニバル将軍は悠然と、そのギスコーに語った。
 「君は大事なことを見逃しているぞ。あれほど沢山の人がいたって、あの中にはギスコーという人はいないのだ」(長谷川博隆『ハンニバル』清水書院)
 要するに、″わが陣営には、君という勇者がいるではないか! 敵には、君ほどの勇者はいない! だから、何も恐れることはない″というのである。
 この将軍の余裕あふれるユーモアの一言に、周囲には明るい笑いがはじけた。そして、そのさわやかな笑いは、兵士から兵士へと広がっていった。
 こうして、将軍の「勝利への強き確信」と「わが戦士たちへの深き信頼」が全軍に伝わった。そして、皆は心を軽くし、勇気を奮い起こしていったというのである。
 その後、この戦いは、兵士たちの奮闘とハンニバル将軍の名指揮によって、歴史に残る大勝利を収めた。
 皆さま方は、「法華経」の兵法を持った「広宣流布の将軍」である。最も偉大な地涌の菩薩である、わが会員・同志に、希望と勇気を贈り、誇りと自信を贈りながら、完全勝利の名指揮をお願いしたい。

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