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日蓮大聖人・池田大作

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全国青年部幹部会 青年よ叫べ! 民衆の先頭で

1998.5.8 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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1  独立の魂の曲「フィンランディア」
 音楽隊の演奏、ありがとう! 見事です!(拍手)
 (創価グロリア吹奏楽団が、交響詩「フィンランディア」〈シベリウス作曲〉を演奏した)
 有名な曲だが、どういう曲か、わかる人はいるだろうか。
 (会場から「フィンランド国民が、ロシアの圧政に対して立ち上がった、革命の歌です」との声が上がる)
 その通りである。
 フィンランドの民衆は、この曲を奏で、歌いながら、独立を成就した。弱小とされた国が、大帝国ロシアの支配を打倒したのである。ちょうど百年前に始まった戦いである。
 (十九世紀末、ロシア皇帝の圧政に対して、フィンランド民衆の抵抗運動が燃えさかる。「第二の国歌」とも言える「フィンランディア」の初演は一八九九年。愛国心ほとばしる壮麗な曲は、ロシア官憲の演奏禁止命令にもかかわらず、曲名を変え、いたるところで演奏され、自由への闘争のシンボルとなった。フィンランドは一九一七年に独立する)
 もう一度、演奏していただいてはどうか。(拍手)
 (二度目の演奏)
 いい音楽である。欣喜雀躍としてくる。静かな響きで始まるが、だんだんと力強くなり、やがて朗らかにダンスを踊るような響きになる。
 はじめは「生活をどうしよう」「殺されるのがこわい」と民衆は迷っている。しかし、だんだんと目覚めていき、最後は「よし、戦おう!」と立ち上がる。そして乱舞する――私には、そんな情景が浮かんでくる。
2  青年部の全国幹部会、おめでとう!(拍手)
 地涌会館(創価文化会館)では、芸術部の三十五期生(首都圏)が研修会に集まっておられる。ご苦労さま!
 きょう集った方の中には、来る途中、「本当は行きたくないな」「きょうは心が重い」「家にいたい」「遊びに行こうか」などと思った方もおられるかもしれない。しかし、こうして会合に「来た」こと自体が尊く、人生にとっての「勝利」であると申し上げたい。
 広宣流布の会合に集うことは「仏道修行」である。功徳は大きい。出席すれば、心も、すっきりと、さわやかになる。そういう「充実」の瞬間を持てる人は、深い人生を生きている。
 自分の好きなようにすごせば、その時は楽しいかもしれない。しかし、それだけでは、本当の歓喜はない。人生の「偉大な芸術家」「偉大な名優」「偉大な人間」には、なれない。
 祈り、学会活動の中で自身を磨き、人々を啓発していく――そこには、文学も音楽も、劇もある。一切の価値が含まれていく。これが、深き深き仏法の世界なのである。
3  語れ! 語れ! 「民衆の声」こそ最強
 イギリスの作家ホール・ケインの『永遠の都』に、こういう一節がある。
 「民衆こそ真の主権者であり、その民衆を抑圧する階層こそ唯一の反逆者なのであります」(新庄哲夫訳、潮文庫。以下は同書から)
 民衆こそ社会の″主人″である。政治家でもなければ、有名人でもない。ゆえに、民衆を抑圧する者は、主人への″反逆者″なのである。
 さらに「人間としてのわれわれにあたえられた義務とは、不正と圧制に直面して民衆の主権を強く主張するということであります」と。
 不正、圧制、悪政――その悪や傲慢を真っ向から批判するのは、人間の「義務」なのである。黙っていてはならない。
 また「人間としてのわれわれの義務とは、民衆の進む道に横たわるあらゆる障害を取り除くことであります」と。
 「民衆」の進む道を切り開いていく――それが本当の人間である。創価学会の姿である。創価学会こそ「民衆の先頭」を進んでいる。(拍手)
 民衆を迫害する者こそ、民主社会の「反逆者」なのである。この一点を見失ったら大変である。
 戸田先生は、この一書を私に読ませた。その意味が私には深くわかる。内容もすべて、脳裏に刻みついている。躍動している。

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