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日蓮大聖人・池田大作

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SGI春季研修会修了式 世界連帯の「黄金の大道を」を

1998.4.21 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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1  ユゴーの激励「敵など無視したまえ」
 めぐり来る五月三日を、久遠よりの同志の皆さまとともに祝賀でき、本当にうれしい。
 SGI(創価学会インタナショナル)の研修会も、本当にご苦労さまでした。
 皆さまのご活躍を、日蓮大聖人も、十方の無量の仏菩薩も、牧口先生、戸田先生も、大変に喜んで喝采を送ってくださっているにちがいない。
 また、幹部である皆さま方は、地道に、けなげに戦っておられる無名の学会員の方々を、最大に守り、ほめたたえていただきたい。
 大聖人は、妙法の同志に会ったならば、まさに仏を迎えるごとく、遠くから見ただけで立ち上がって迎えなさい、最高に尊敬しなさいと教えられている。
2  フランスの大詩人、ヴィクトル・ユゴーの話をしたい。
 彼の友人が、ある時、ノイローゼになってしまった。友人は文部大臣を務め、教育改革に手をつけたが、皆に非難の集中砲火を浴びて、すっかり、まいってしまったのである。無理もない。
 私も一人で、集中砲火を浴びてきた。たいていの人間なら、気がおかしくなるか、病気になるか、自殺してしまったかもしれない。
 ユゴーの友人は、大臣を辞職して、家に引きこもってしまった。
 ユゴーが見舞いに行くと、やつれた、青白い顔で、髪は、ぼさぼさ。にこりともしないで、悲しみに沈んでいた。
 ユゴーが励ますと、友人は言った。
 「あの連中がでっち上げることといったら、まったく想像を絶するものです。(中略)この私は孤立無援!」「ヴィクトル・ユゴー、私に誓ってほしいのです。金輪際、どんな中傷も信用しないと」(稲垣直樹編訳『私の見聞録』潮出版社。以下、引用は同書から)
 ユゴーは言った。
 「空の青さを疑っても、あなたの目の前にいる友人の誠実な心は疑わないでください」――私は永遠に、あなたの味方です、と。
 そして、こう教えたのである。
 「あなたにはあなたの敵がいる。けれども、この世の中に敵のいない人間などいますか?」
 「二十年も前から、わたし(=ユゴー)は憎まれ、こきおろされ、敵に売られ、裏切られ、罵倒され、やじられ、嘲笑され、侮辱され、中傷されてきたではないですか? 作品を風刺されたり、行動は茶化されたりしたではないですか? 人につきまとわれ、偵察され、罠をしかけられ、罠にかかったことだってあるではないですか?」
 「けれども、こうしたことのごれもこれもが、わたしにとって、なんだというのですか? わたしは無視しています。無視するすべを学ぶことは、人生でいちばん難しく、また、いちばん必要なことの一つなのです」まったく相手にせず、とりあわない生き方の大切さを示した。
 「無視は護り、粉砕します。無視は鎧であるとともに棍棒でもあるのです」
 「あなたに敵がいるですって? でも、それは大事業を成した人、新しい思想を打ち立てた人ならば、だれにでもいえることです。光り輝くもののまわりには必ず雑音を放つ黒雲が群がるものです。名声には敵が付きものなのは、光には、まわりに群がる羽虫が付きものなのと同じです」
 さらにユゴーの励ましは続く。
 「敵など、気にしなさることはありません。無視すればいいのです。あなたの人生に曇りがないのですから、心にも静かさをお持ちなさい。『あいつを苦しめ、あいつを悩ませているのだ』と考える喜びを、敵に与えることなどおやめなさい。楽しく、ほがらかにしてください。世の喧噪(=騒がしい声や物音)を低くみて、強く生きてください」
 このユゴーの言葉に、友人は、少しずつ元気になり、立ち直った。そして一生涯、ユゴーに変わらぬ友情を示し続けた。
3  日蓮大聖人は、「悪口罵詈」と「権力の弾圧」の集中砲火の中で、「これほどの悦びをば・わらへかし」と仰せである。
 「流人なれども喜悦はかりなし」、「悦び身に余れり」、「幸いなるかな我が身「数数見擯出」の文に当ること悦ばしいかな悦ばしいかな」、このように、繰り返し仰せである。
 御書には「楽しいかな楽しいかな」「悦ばしいかな悦ばしいかな」という大聖人の笑い声が、あふれている。大聖人を、がっくりさせようとした権力者や悪僧の″もくろみ″は、完全に狂ってしまった。
 私どもも、くだらない策謀など笑いとばつつ、晴れわたる心で、楽しく、堂々と、王者の前進をしてまいりたい。(拍手)

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