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日蓮大聖人・池田大作

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九州・沖縄合同会議 「心」で決まる 故に「心」を鍛えよ

1998.3.3 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  組織で光れ、地域で光れ
 九州・沖縄の合同会議、おめでとう!
 今回、沖縄の未来構想を、多次元から、じっくりと協議し、布石することができた。また、昨日ときょう、各〈県〉・各圏で新出発の会合が行われている。重ねて祝福申し上げたい。
 素晴らしき模範の沖縄・創価学会となった。福岡をはじめ九州も、力強い見事な大発展である。人材の陣列も整った。いよいよ、これからが黄金時代である。
 うれしいことに、沖縄は、じつに、人柄のいい方々が、広布のリーダーとして活躍されている。とともに、社会や地域で大いに貢献し、信頼を集めている同志が、まことに多いことも、沖縄の強さである。
 「仏法即社会」であり、「信心即生活」であり、そして「広布即地域貢献」である。ゆえに「地域」に根を張り、「地域」に友好を広げていくことが、どれほど大切か。どれほど尊いか。
 それは、組織上の役職がどうかではない。一人の人間として、地道で、誠実な、粘り強い行動を積み重ねていく以外にない。そうした人知れぬ労苦も、日蓮大聖人は、すべてお見通しなのである。
2  流罪の地・佐渡にあって、多くの悪人の迫害から大聖人をどうお守りできたのか。じつは、そこには、地域で慕われる一人の力ある人格者の存在があった。その名は、「中興の次郎入道」である。同じ佐渡の門下でも、「阿仏房」や「最蓮房」は、ご存じの方も多いと思うが、中興入道の名は知らないという人がいるかもしれない。大聖人にお会いしたときには、すでにかなり高齢であったようで、今で言えば「多宝会」の方である。
 御書には、こう仰せである。
 「上ににくまれたる上・万民も父母のかたきのやうに・おもひたれば・道にても・又国にても・若しはころすか若しはかつえし餓死ぬるかに・ならんずらんと・あてがはれて有りしに、法華経・十羅刹の御めぐみにやありけん、或は天とがなきよしを御らんずるにや・ありけん、島にて・あだむ者は多かりしかども中興の次郎入道と申せし老人ありき、彼の人は年ふりたる上心かしこく身もたのしくて国の人にも人と・をもはれたりし人の・此の御房は・ゆへある人にやと申しけるかのゆへに・子息等もいたうもにくまず、其の已下の者ども・たいし大旨彼等の人人の下人にてありしかば内内あやまつ事もなく
 ――(私=大聖人は)権力者から憎まれているうえ、あらゆる人たちが父母の仇のように思っている。だから、佐渡への道中でも、また佐渡の国においても、殺されるか、餓死するかであろう、ということで、流罪されたのである。
 ところが、法華経・十羅刹女のご加護によるものであろうか。あるいは、天が、日蓮にまったく罪がないことを、ご覧になっていたからであろうか。島にも、日蓮を憎む者は多かったけれども、中興の次郎入道という老年の人がいた。この人は、年配者であるうえに、心は賢く、豊かな身で、佐渡の人々からも人格者として尊敬されている人であった。この人が、『日蓮というお方は、何か、いわれのある、立派な人に違いない』と言ったからであろうか。その子息なども、日蓮をひどく憎むことはなかった。
 また、それ以下の者たちも、大体は、中興一族に仕える人であったから、内々では、日蓮に害を加えることもなかった――と。
 信用が大事である。たとえ「一人」であっても、その人に「信用」があれば、いざという時に大勢の人が従い、すべての局面が劇的に変わっていく。勇気ある声の力で、障魔を押し返していくこともできる。
3  ある人は言っていた。「近年の学会に対する迫害も、狂気のごとくであった」と。
 私も、襲いかかる嵐と怒涛のなかで、広宣流布の師匠である戸田先生を厳然とお守りした。これは私の最高の誉れであり、永遠不滅の歴史である。
 皆さまもまた、「あの人がいれば、いくら風のざわめきがあったとしても、雄渾なる勇気がわいてくる」と我が同志から思われる存在であっていただきたい。そして、広布の組織で光るとともに、その福徳の光で社会を大きく包み、照らしていく「魅力ある人間王者」となっていただきたい。
 この御書は、中興入道の死後、後継の家族にあてて書かれたものである。つまり、大聖人は故人をしのんで、その真心をたたえておられるのである。遺族は、どれほどうれしかったであろうか。
 私どもも、この御心を拝して、今こそ、一人一人の会員同志を、真心の限りを尽くして激励してまいりたい。また、この信心を子孫に伝えていくことが、最高にして永遠の「財産」であることを強調しておきたい。

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