Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄各部協議会 青年は「最高峰」をめざせ

1998.2.27 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  青春に一日の空白も許すな
 全国で、青年部の活躍がめざましい。沖縄の青年部もすばらしい成長ぶりである。すべての焦点は青年である。
 二〇〇〇年には、「世界青年平和文化祭」が、沖縄で開催される(二〇〇〇年二月五日、世界青年平和大文化総会として行われた)。アジアと世界の青年が、この「平和の原点」の地に集い、新世紀への船出をする。
 その意味で、きょうは沖縄とゆかりの深い韓国の素晴らしさについて、少々、スピーチしたい。
 韓・朝鮮半島との交流の歴史は、沖縄古来の髪形などにも鮮やかに反映されている。
2  今なお広く愛されている青春の詩人、ユン東柱ドンジュ。彼は、日本に留学していたが、「治安維持法」で逮捕され、二十七歳の若さで獄死した。一九四五年(昭和二十年)の二月であった。
 逮捕されたのは、その二年前の七月。ちょうど牧口先生、戸田先生が治安維持法で逮捕されたのと同じ月である。ともに日本の国家主義の犠牲になった――。
 彼については、これまでも語ったことがあるが、詩人は十代のころ、こんな詩を書いている。
  「生は今日も死の序曲をうたった。
   この歌がいつ終るのか
  
   世間の人は――
   骨をとろけさす生の歌に
   踊る
   人びとは日が暮れるまえに
   この歌の終りの恐怖を
   考えるいとまがなかった。」(尹一柱編『空と風と星と詩』伊吹郷訳、記録社)
 世間の人々は、死を見つめることなく、歓楽にふけって、自分自身を忘れている。しかし生命は、いつも「死の序曲」を奏でているのであり、人生は無常迅速に過ぎ去っていく。
 その通りである。遊んでいるうちに、あっというまに青春は終わる。気がつけば、すぐに中年であり、老年になっていく――。
 ゆえに、価値ある青春の一日一日を送らなければ、損である。「むなしき空白の一日」は一日たりともあってはならない。
 彼は、こう書いた。
  「死ぬ日まで空を仰ぎ
   一点の恥辱なきことを
   (中略)
   生きとし生けるものをいとおしまねば
   そしてわたしに与えられた道を
   歩みゆかねば」(同前)
 この詩のとおり、彼は死ぬ日まで、心に一点の恥ずべき曇りもなく、堂々と生き、戦い、死んでいった。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」――一生空しく過して、万歳に悔いることがあってはならない――と。
 また釈尊は言った。
 「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない」
 「奮起てよ。怠けてはならぬ。善い行ないのことわりを実行せよ」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波文庫)
3  青年が立った韓国の独立運動
 当時の韓国で、日本からの独立運動をリードしていったのも、青年であり、学生であった。その姿を見て、年配者も「若い彼らが、立ち上がっているのに、どうして私たちが立たずにおられようか!」と、青年に続いたのである。
 「韓国のジャンヌ・ダルク」と呼ばれている柳寛順ユ・クワンスンは、十五歳で日本の官憲に逮捕された。口にすることもできないような残酷な拷問――しかし彼女は屈しなかった。
 堂々と「おまえたち日本人に、我々を裁く権利はない。裁きを受けるべきは、おまえたちのほうだ!」と叫び、殺されたのである。約八十年前のことであった。(一九二〇年)
 彼ら青年は、「いかなる権力によっても、魂は絶対に死なない」ということを、全世界に示し切った。
 彼女が戦った「三・一独立運動」は、見事な非暴力の闘争であった。(一九一九年)
 デモをして、「独立万歳!」を叫ぶ。いわば「声の闘争」であった。
 彼らは申し合わせた。「日本人を侮辱してはならない。石を投げてはならない。殴ってはならない。そういうことは野蛮人のやることだ」
 これほど痛烈な日本への批判もなかった。日本人は、いつも人々を「侮辱し」「石を投げ」「殴って」いた「野蛮人」だったからである。
 極めて残念なことであるが、「歴史の事実」は事実として、きちんと語り伝えておかねばならない。恥ずべき「事実」を隠すことは、恥ずべき行為をさらに重ねることになるからである。

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