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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄最高会議 沖縄を二十一世紀の幸福島に

1998.2.23 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  三世に薫れ! 「沖縄健児」の誉れ
 久方ぶりに沖縄を訪問させていただき、代表の皆さま方とお会いでき、私は本当にうれしい。
 沖縄は「仲が良い」から発展している。香港も、そうであった。
 今回は十五回目の沖縄訪問となった。「沖縄メモリアルパーク」の工事も順調に進み、いよいよ明春、完成する。本当におめでとう。(拍手)
 わが沖縄の同志は、今日まで、本当に偉大なる「広宣流布」の道を開いてこられた。
 今、小説『新・人間革命』で、奄美の広布開拓のドラマを綴らせていただいているが、沖縄や奄美などの島々に、日蓮大聖人の仏法を弘めゆくことが、どれほどの難事であったことか。
 それは、まさしく、「命をかけて ひと筋に 仏意を奉じ 示さんと」と、私の大好きな『沖縄健児の歌』にある通りの命がけの戦いであった。
 皆さま方の尊きお名前は、厳然と歴史に輝き、その大福運は三世に薫るにちがいない。大聖人の御称賛は永遠であると確信する。
 まさに「合掌」して、仏を敬うがごとき心で私は皆さまを尊敬する。日本のすべての幹部も、同志に対して、そうであっていただきたい。
2  ところで、日本の宗教社会学の第一人者であられた安斎伸先生(上智大学名誉教授)とは、忘れ得ぬ交友を結ばせていただいた。
 安斎先生は、学会を深く理解なされ、本当によくしてくださった。永遠に、私の胸から離れない方である。今年の年頭に、ご逝去され、私は心から追善申し上げている。
 じつは、安斎先生も、わが沖縄の友の「広布開道」を絶賛しておられた。
 というのも、かつて安斎先生は、沖縄や奄美における宗教――とくに、カトリックの伝播と受容について、研究調査をされた。そのなかで、「沖縄の学会員の千波、万波の広布の活動に注目せざるを得なかった」というのである。
3  「学会員が″道なき道″を開いた」
 安斎先生は、安見議長をはじめ、宮古島や石垣島などの草創の方々と語り合い、強く胸を打たれたと、振り返っておられた。
 沖縄の学会のリーダーについて、こうつづっておられる。
 「それぞれ人生の辛酸をなめ、信心による功徳の体験から、苦難を克服し、その喜びを人々に伝えるため、その昔、カトリックの宣教師たちが、道なき道や草むらを、ハブの脅威をものともせず、踏み分け、小舟を漕いで村々に渡り宣教したように、否、それ以上の苦労に耐えて、沖縄の学会員は、南島全域に会員数を増やし、宮古と石垣に正宗の寺院を創設し、また、ユタの俗信で、経済的負担も重かった人々の重荷を取り除き、人々の生活の合理化に尽くしたことは、キリスト教の宣教師も、高く評価したのだった」(『南島におけるキリスト教の受容』第一書房。参照)と。
 キリスト教が世界宗教となったのも、幾百年にもわたり、数え切れない殉教者が、命を捨てて布教してきたからである。
 その歴史を、だれよりも知悉しておられる安斎先生が、沖縄創価学会の足跡を、これほどまでに称えてくださったのである。
 私は重大な歴史的証言として、後世に、とどめさせていただきたい。

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