Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

各部協議会 日本の夜明けをわれらの勝利で

1998.1.4 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

前後
1  喜びを与えよ 自信を与えよ
 あけまして、おめでとうございます。本年もどうかよろしく!
 断じて一人一人が、広布のため、学会のため、絶対に勝たねばならない。勝てば広宣流布が広がり、負ければ皆が苦しむ。ゆえに、幹部は心して、名指揮・名指導を、お願いしたい。
 全会員が「喜び」と「希望」をもち、「自信」と「確信」をもって人生を生き抜いていけるように、守り、励ましてもらいたい。
 大聖人は、厳然と仰せである。「難来るを以て安楽と意得可きなり」――難が起きてくることが、じつは安楽と心得なければならない――と。
 これこそ私どもの永遠の指標である。ゆえに、何ものも恐れる必要はない。否、何かあればあるほど、いよいよ喜び勇んでいくべきなのである。
2  聖人を迫害すれば国滅ぶ
 日蓮大聖人は、全人類を救うために出現された。同時に、最高の愛国者でもあられた。
 「国をたすけん」「国の恩を報ぜん」「国のため法のため人のため」――そういう御言葉は数かぎりなくある。
 事実、大聖人は流罪、死罪の大難にも耐えて、日本を救うために戦われた。
 しかし、日本は「親を打つ子」のように、大聖人に感謝するどころか、迫害をもって応えた。そして蒙古襲来という「亡国」の危機を招いてしまった。また深刻な疫病も広がった。
 大聖人は仰せである。
 「国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人はわきまへざるか
 ――国が崩壊するのは、聖人を迫害するからである。愚かな者は、これもわからないのか――。
 聖人を迫害するような国は、善と悪がさかさまになっている。一事が万事で、すべて、おかしくなるのは当然である。
 大聖人は、「聖人をあだめば総罰一国にわたる(中略)賢人をあだめば但敵人等なり」――聖人を迫害したら『総罰』と言って、一国全体が罰を受ける(中略)賢人を迫害すれば、罰を受けるのは『迫害した人間だけ』である――と教えてくださっている。
 そして、ついには、こう言われるのである。
 「我が国のほろびん事はあさましけれども、これだにもそら事になるならば・日本国の人人いよいよ法華経を謗して万人無間地獄に堕つべし、かれだにもつよるならば国はほろぶとも謗法はうすくなりなん、譬へば灸治をしてやまいをいやし針治にて人をなをすがごとし、当時はなげくとも後は悦びなり
 ――わが国が滅びることは痛ましいことだが、これさえも現実にならないと、日本国の人々は、いよいよ法華経を誹謗し、だれもが無間地獄へ堕ちてしまうだろう(それはもっとかわいそうである)。蒙古が(日本を)強く攻めれば、国は滅びようとも、(人々は過ちに気づいて)謗法は薄くなるであろう。たとえばやいと(おきゅう)で病気を治したり、針(鍼)の治療で人を治すようなものである。その時は苦しくても、あとは喜びとなる――。
 最近の日本についても、ある著名人が言われていた。
 「今まで、あまりにも、いい調子になっていた。一度、血を吐くような苦しみを味わわないと、日本人は傲慢のまま、いつまでも目覚めないだろう」
 大聖人は「厳父が、わがままな不良息子を突き放して苦しめ、改心させる」ように、日本の国を見ておられたとも言えよう。
 それでいて、陰では、ちゃんと守っておられたのである。こう言われている。
 「此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれども・はうに過ぐれば罰あたりぬるなり
 ――この国が滅びることは疑いないけれども、しばらくそれをとどめて国を助けたまえと(祈る)日蓮が控えていればこそ、今までは安穏であったのだ。しかし、それも、あまりにも(非道が)限度を超えたので、(日本の国は)罰を受けたのである――。
3  大悪を大善に変える一年に
 結論的に、大聖人は「こういう時こそ広宣流布の前進の時である」と仰せである。
 「国はいかにも候へ法華経のひろまらん事疑なかるべし
 ――国がどのようになるかはともかく、法華経が広まることは間違いない――。
 また「世は亡び候とも日本国は南無妙法蓮華経とは人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ(中略)毀らん人にはいよいよ申し聞かすべし」と。
 ――世の中は滅びようとも、日本国は南無妙法蓮華経と、だれもが唱えるようになるであろう(中略)悪口を言う相手には、いよいよ(正義を)語り、聞かせなさい――。
 今もまた世の中は乱れに乱れているが、だからこそ人々を目覚めさせるチャンスなのである。日本人の心に強い「動執生疑」が起こっているからである。(動執生疑とは、誤った考えに執着している心が動揺し、疑いが生じること。真実の法に目覚める前提となる)
 「大悪をこれば大善きたる」――大悪が起これば必ず大善がくる――のである。
 この一年を、社会の「大悪」を「大善」へと変えゆく一年としてまいりたい。
 我らの勝利以外に、「日本の夜明け」をもたらし、「希望の新世紀」をもたらすものは断じてないからである。

1
1