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日蓮大聖人・池田大作

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第二東京代表者会議 勇み立て! 「正義の大行進」に

1997.10.3 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  ブラジルの英雄「私は満足だ! まっすぐに生きた」
 本年、私は、ブラジルのリオデジャネイロ州議会より、最高位の栄誉である「ティラデンテス・メダル」をいただいた。(一九九七年八月二十日)
 ブラジルの「独立の英雄」ティラデンテス。その勇者のごとく、「世界の平和」と「民衆の幸福」のために殉教された牧口先生と戸田先生に、私はこの栄光を謹んで捧げたい。
 これまでもスピーチしたように、英雄ティラデンテスは、民衆の中から立ち上がり、独立と自由と正義のために戦い抜き、信念に殉じた。気高き人生であった。
 最後は、裏切り者の卑劣な密告によって逮捕され、処刑される。その残酷な処刑の直前、彼は何と言ったか。
 「私には、後悔は一切ない。生涯をまっすぐに生き抜き、私は満足している。楽なことばかりで人生を終えるのは、もったいない」
 堂々たる勝利の宣言である。文句や愚痴など、まったくない。自分一身の安堵など求めない。それでこそ獅子である。悔いなきことが勝利である。
 処刑を前にした彼は、遺言のごとく、続ける。
 「わずかでも″抑圧のささやき″が道から聞こえてきたら、外に出て、力の限り叫ばなければならない」
 そのとおりである。内にこもってはいけない。外に向かい、外に出て、悪に対して叫ばなければならない。叫び、動いた人の後ろには、すがすがしい「正義の道」ができていく。
 一点の悔いもなき彼の目は、ただ未来の勝利と栄光を見つめていた。
 「心ある人ならば、必ず、私とともに行動するだろう。少数の者の利益のために庶民が苦しみ、侮辱される悲しき姿を見たならば」
 「友情と人間愛の連帯は、いつか必ず勝ち取られるだろう!」と。
 牧口先生の獅子吼にいわく、「愚人に、にくまれたるは、第一の栄光なり!」。
 戸田先生の青年訓にいわく、「愚人に、ほむらるるは、智者の恥辱なり!」。
 今年百歳の″言論の闘士″ブラジル新聞協会のバルボーザ・リマ・ソブリンニョ会長は語る。
 「ブラジルには二つの人種しかない。ティラデンテスのごとく『死を賭して民衆を守る人』と、彼を裏切った人間のごとく『民衆を欺く者』である」と。
 会長は四年前(九三年)の私のブラジル文学アカデミーでの講演にも駆けつけてくださった。
2  信念の人生、悔いなき人生を
 ともあれ、最も崇高な人生とは、多くの人のために信念に殉じて悔いなき生き方である。
 いわんや日蓮仏法は殉教が魂である。自分中心でなく「法」を中心にしていく。「法」に殉じていく。ゆえに最も確かであり、何があっても揺るがない。驚かない。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「なにと・なくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人に・わらはれさせ給うなよ」――特別のことがなくても、人間は一度は死ぬことが決まっている。したがって(難にあったときに、死を恐れて)卑怯な態度をとって、人に笑われてはなりません――。
 大聖人は、あの厳しき佐渡の地で、「流人なれども喜悦はかりなし」と言われたのである。この王者の大境涯を、よくよく拝すべきである。
 戸田先生は言われた。
 「死は一時、生は永遠である。創価学会の同志も、いまや広宣流布の大旗を掲げて立ったのである。いまや広宣流布の秋である。勇まなくてはならない。しかし、自分の行動に絶対の確信のない者は、この大行進には邪魔である」(『戸田城聖全集』第三巻)
 どうか、ともどもに、大いなる「信念の人生」を、「確信ある人生」を、そして「悔いなき人生」を、生きて生きて生き抜いていただきたい。
 (東京・八王子市内)

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