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日蓮大聖人・池田大作

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第15回本部幹部会、第七回東北総会、第… 「正義のドラマ」を愉快につくろう

1997.9.25 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  歩け! 現場を自分の足で
 ただ今、フィリピン共和国のソルソゴン州から、「名誉州民」の称号をいただいた。きょうの授与式のために、わざわざ来日されたフリバルド知事は、こう言われている。
 「私は、フィリピンの知事の中で、いちばん、年寄りで、いちばん、貧しい知事です。しかし、いちばん、民衆の声を聞き、いちばん、民衆のために働いてきたと誇りをもっております」
 州民から圧倒的支持を得ている知事は、この十月で八十二歳。一九五五年以来、八期も知事を務めておられる。(マルコス独裁政権下での九年間にわたるアメリカ亡命生活を除き、現在にいたる)
 八期のなかで、州民のために、さまざまな功績を残しながら、ご自身は自宅すら建てていない。
 「私はマニラにも、ソルソゴンにも、故郷の町にも自宅はありません。ヤシの葉ぶきの実家があるだけです」と。
 (同知事の業績は、水力発電所、潅漑ダムの建設、結核療養所の設置、州の酪農所の完成、国立公園の整備、道路の舗装など数多い)
 まことに飾らないお人柄の知事であられる。世界でも希有の政治家であるとたたえたい。
2  知事の信念は、「ともかく歩く」こと。「自分の足で、恵まれない人のために、その人のところへ行って、対話をします」と、語って折られる。いわば「草の根の対話」に徹することである。
 歩くこと――これは、″テレビ時代″の現代においては、「古い方法」かもしれない。テレビを通して、いい格好を見せることに比べれば、地味であり、愚かのように見えるかもしれない。
 「しかし、じつはこの方法が、いちばん、現実的で、いちばん、結果がでるのです。これが長年の経験の結論です」と知事は言う。
 事実、知事は一軒一軒、地道な対話を重ねて、州民の心を、がっちりとつかんでおられる。
 州民のある人は、こう言ったほどである。「フリバルド(知事)が死んだ後でも、私たちは彼に投票したい」と。
 (知事は二回暗殺されかけたことがある。初めの七一年の時、銃撃された知事をかくまった家では「たとえ暗殺者が来ても、私たちが知事を守ります。安心してください」と言ったという)
 私も常に「現場へ行け!」「現場を歩け!」と教えてきた。その通りにやったところは伸びている。傲慢になって、自分がやらなかったところは敗北している。
 (フリバルド知事については、「大白蓮華」の連載「忘れ得ぬ世界の友」の第一回(九六年十一月号)でも紹介されている)
3  チリ・エイルウィン前大統領との対談集発刊へ
 話は南米に移る。このほど、チリ共和国の哲人指導者エイルウィン前大統領と私の対談集『太平洋の旭日』が、ほぼまとまり、いよいよ発刊の運びとなった。(九七年十月三十日、河出書房新社)
 本日(九月二十五日)は、遙かなる″太平洋の隣人″チリと日本が修好を結んでから、ちょうど百周年に当たる。きょうの意義深い佳節を″心と心を結ぶ一書″で飾ることができ、私は大変に、うれしい。(拍手)
 (名誉会長は、世界平和と両国の友好交流に尽くした功績に対して、チリ共和国から同国最高の「功労大十字勲章」〈九三年十月〉を、また首都サンティアゴ市から「輝ける賓客章」〈九三年二月〉を受章している)
 チリでは、一九七三年から十六年にわたって、残虐な軍の独裁が人民を支配し、弾圧した。冤罪(無実の罪)によって惨殺された人は二千五百人。行方不明者、つまり闇から闇へ葬られた人は千人。不当に逮捕された人は十七万人。亡命を余儀なくされた人は三十万人。何という悲劇の歴史か。
 日本も将来、そういう方向へ進まないとは、だれも言い切れない。そんな不幸な流れは、流れが小さいうちに、断じて、せき止めておかねばならない。
 チリの恐るべき軍政を打倒し、平和裏に民主化を成し遂げた中心者が、エイルウィン前大統領である。人類史の流れを大きく変えたリーダーシップといえよう。
 私は対談集の「前書き」に、こう綴った。
 「私は強大なる権力と戦った人を尊敬する。その代表的人物の一人である青年革命児エイルウィン先生の人生行路を尊敬する。平凡な、そして実直な、波風を立てない人生を生きる人も多い。それはそれで立派な人生といえるかもしれない。しかし、より良き社会を、より良き未来を、より良き進路を創るため、生命を賭しての正義の戦いをしてゆく人を、私は深く尊敬し理解する」

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