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日蓮大聖人・池田大作

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山梨教学研修センターでの初講義 「教学第一」「行動第一」の模範郷に

1997.6.10 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  見えない陰徳が大果報と現れる
 このたび、「山梨教学研修センター」を初めて訪問することができた。懐かしい、また信頼する山梨の同志の皆さまにお会いでき、何よりもうれしい。(拍手)
 以前も申し上げたように、この研修センターは、皆さまの家であり、皆さまの城である。この中に入れば、自然のうちに、教学を学んでいる姿に通じる。そう言えるかもしれない。まさに「教学の当体の会館」である。
 地元の一宮町の方々も、大変に喜んでくださっていると、うかがった。先日(五月三十一日)行われた開所式にも、多くの近隣の方々が集われ、にぎやかであったと聞いた。どうか、これからも地域に根ざし、皆から愛される法城へと、育んでいっていただきたい。
 ともあれ、まことに立派な研修センターである。このように見事に整備し、荘厳してくださった、すべての方々、ならびに、すべての役員の方々に、私は心から御礼を申し上げたい。陰の苦労が、どれほど大変か。私は、よくわかっているつもりである。
 「心こそ大切なれ」――これが、大聖人の根本の教えである。この「心」を、どうつくるか。
 すなわち、一念に三千を具する、わが「心」を、どう鍛え、どう磨き、どう人間革命へと回転させていくか。そのために信心があり、学会活動がある。
2  大聖人は、この山梨の地から、四条金吾に、「陰徳あれば陽報あり」――人の目に見えないところで積んだ徳は、必ず目に見える報いを受けることができる――と励ましておられる。
 金吾は、それまで、妬みの讒言によって、主君から遠ざけられていた。その難を、金吾は、けなげな信心と、真心の行動で見事に乗り越え、信頼を勝ち取っていった。門下の勝利の姿を、大聖人はこよなく喜ばれながら、重ねて、こう仰せになられた。
 「此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ」――これは、まだ始まりです。さらに大果報が来ると確信しなさい――。
 法のための労苦は、すべて功徳となって、わが身を飾る。見えない陰の献身の行動が、目に見える結果となって、福徳は汲めども尽きない泉のごとくに、ぐんぐんと満ちてくる。
 その確かな幸福の軌道に、皆さまは間違いなく入っておられる。この軌道から、絶対に外れてはならない。そのためにも、教学を学びゆくことが大切なのである。
3  魔が競うのが正法の証拠
 大聖人は、ここ山梨において、池上兄弟にあてられた御手紙(「兄弟抄」)のなかで、一つの明文を挙げておられる。その重大な文とは、何か。それは、摩訶止観の一節であった。
 すなわち「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ
 ――仏道修行と仏法理解が進んでくると、三障四魔が、入り乱れて競い起こってくる。これに随ってはならない。これを恐れてはならない。これに随えば、必ず人を悪道に向かわせる。これを恐れれば、正法を修行することを妨げる――。
 大聖人は「此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」――この釈は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、門家一同の明鏡である。謹んで習い伝えて、未来の信心修行の糧とせよ――と仰せになられた。
 私どもは、競い起こる三障四魔の嵐と断固として戦い、断固として乗り越え、勝ち越えてきた。それ自体、学会が大聖人と直結している偉大なる証なのである。

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