Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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三重代表者会議 創価の道で連戦連勝で

1997.5.25 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  「戦う人」は永遠に若い
 日曜の朝から、皆さん、ようこそ、いらっしゃいました。ゆったりと、リラックスして懇談しましょう。(拍手)
 窮屈な形式は学会には、いりません。自由闊達に、皆に希望を与え、喜びを与えていくのが根本です。「和合僧」だから、皆が仲よく、「ああ楽しかった」「来てよかった」と心の底から思えるようにしていかなければならない。その正反対をやったのが、宗門である。
 御書に、信心に励む人は「年は・わかうなり福はかさなり候べし」――都市は若返り、福は重なるでしょう――と仰せである。それが妙法である。一生涯、青春の命で生きられる。肉体は年とともに変わっても、「心こそ大切」である。
 広宣流布に向かって、「さあ戦っていこう!」という心がある人は、生命に太陽が昇る。心が若々しい。心が輝いている。
 仏法は「勝負」であり、信心は、永遠の「戦闘」である。「戦っていこう」という信心に「大生命力」がわき、限りなき「希望」がわく。
 反対に、利己主義の人は、年とともに生命力がしぼんだり、心がゆがんでしまう。
 法のため、人のために悩みながら、尽くして生きている利他の人は、大変ではあるが、その分、自分の生命力を強め、大きく開いていける。
 釈尊の時代、インドの平均寿命は短かったが、釈尊は八十歳まで生き抜いた。妙法の力を、そうやって証明してみせたのである。
2  妙法の軌道とは、広宣流布の軌道である。具体的には学会活動の軌道である。広宣流布の組織にのっとって、ともに進むのが最高の人生の軌道であり、最高の健康の軌道でもある。
 学会活動は義務ではなく「自由」である。やらなかったからといって罰則があるわけではない。個人の自由意志である。
 自分の自由な決心で、「よし、やろう」と進むのが学会活動である。その繰り返しによって、三世にわたる「永遠の自由」の境涯を築けるのである。
 また勤行は、「端座して実相を思う」儀式であり、朝な夕な、私どもは、大宇宙を見わたし、見おろしているのである。
 全宇宙が――何千億、何兆もの星々が――御本尊に含まれている。その宇宙を、三世にわたって自在に遊戯できる境涯を、私どもは日々の修行で開いているのである。
 生々世々、宇宙の好きな場所に生まれ、生まれるたびに、広宣流布の指導者をはじめ、あらゆる分野の大指導者として活躍できる自分になる。その大福徳を今、学会活動で積んでいるのである。
3  「認識せずして評価するなかれ」
 三重の皆さんは、いじらしいほど、けなげに戦ってこられた。邪悪な権威・権力と、敢然と戦い抜いてこられた。皆さまのご健闘を心からたたえたいとの思いで、私は四年半ぶりに、三重を訪問させていただいた。(拍手)
 奈良から三重へ――万葉ゆかりの美しき緑の道が続いていた。私は、お懐かしい三重のあの友、この友を思い浮かべ、題目を送りながら移動してきた。
 ある交差点の信号で車が止まると、標識が目に入った。そこには、「阿仏房」の「阿」という字に、「保健」の「保」という字が書いてある。
 「なんと読むのでしょうか? アホとも読めますが」と東京からの同行者が、笑いながら言った。だが、私は、きちんと調べて確認するように指示した。小さなことかもしれない。しかし、一事が万事である。
 確かめもせず、いいかげんに評価してしまう――日本人の軽薄な風潮を、牧口先生は厳しく戒めておられた。「認識せずして評価するなかれ」と。また、この地でも、きっと、わが学会員が活躍しておられるに違いない。私は、その様子が、ぜひとも、知りたかったのである。

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