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日蓮大聖人・池田大作

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「創価学会後継者の日」の集い、スリラン… 後継者とは師の偉大さの証明者!

1997.5.5 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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1  スリランカは大恩の国
 尊敬するコスタ副総長ご夫妻はじめ諸先生方、ようこそおいでくださいました。ただ今、スリランカが世界に誇る「仏教研究の名門」であり、偉大なる「民衆奉仕」の伝統輝く貴大学より、誉れある「名誉文学博士」の称号を、私は謹んで拝受いたしました。(拍手)
 貴国は、日本にとって永遠に忘れ得ぬ大恩の国であります。
 第二次世界大戦中、日本は、非道にも、宝石のごとく美しき貴国の大地を爆撃いたしました。それにもかかわらず、戦後、サンフランシスコの講和会議で、貴国は、「賠償を請求する権利」を、仏教の慈悲の精神から、あえて放棄してくださった。時あたかも一九五一年(昭和二十六年)――私の恩師である戸田先生の第二代会長就任の年であります。
 さらに、この時、日本を東西ドイツのように分割しようという動きに、真っ向から反対して、厳然と日本を守ってくださったのも貴国だったのであります。多くの日本人は、その史実すら忘れているかもしれない。
 しかし私は、「この大恩に必ず報いよう!」と、若き心に深く期しました。第三代会長に就任して、いちはやく貴国を訪問(一九六一年)したのも、この思いからであります。
 その旅で出会った貴国の少年少女たちは、本とノートを小脇に抱え、皆、「学ぼう」という息吹にみなぎっておりました。その凛々しい姿に、私は直感しました。″この国は「教育」に力を入れている。未来は洋々と希望が広がっている″と。
2  本日は、私どもにとりまして、意義深き「後継者の日」であります。
 「後継」といえば、貴大学こそまさしく、人類の教師である釈尊の精神を脈々と「後継」しゆく学府であります。
 今、私は、仏法の人間主義が、幾千年にわたって海を越え、山を越え、人から人へ、心から心へ受け継がれてきた壮大な「後継」のドラマに、思いを馳せております。
 思えば釈尊は、あらゆる人間の生命から、「智慧」と「勇気」と「慈悲」を限りなく引き出そうとした、「人間教育の先駆者」でありました。しかし、その生涯は、「九横くおうの大難(九つの大難)」といわれるように、迫害の連続だったのであります。
 すなわち、悪意と嫉妬の悪口をあびせられ、また、裏切り者の策謀で何度も命を狙われ、さらに讒言によって訴えられ、まったくいわれのない事件を捏造されたのであります。ここに、いつの世にも変わらない迫害の構図があります。
3  大難を一身に受けながら、命を賭けて戦っている――この釈尊を、ずるい大人たちは、ただ傍観するだけでした。自分が痛い思いをしなければ、それでいい。自分が巻きぞえにならないよう、うまく立ち回っておこう――こういう卑怯な心であった。
 戦時中、アジアへの侵略戦争に抵抗し、殉教した牧口先生を見殺しにした「卑劣な坊主」や「意気地なしの幹部」も、まったく同じでありました。彼らは、牧口先生を守るどころか、反対に、かかわり合いを恐れて、権力にへつらったのであります。
 また、釈尊に出会うと顔をそむけたり、扉を閉じたり、窓をふさいだりした世間の人々もいたのであります。
 しかし、そうした大人たちとは対照的に、釈尊に真心を込めて、土で作った餅を差し出した童子がいました。今で言えば、未来部の皆さんです。
 「自分は、今は、この尊い正義の人のために、何もできない。しかし、何としても、お役に立ちたい!」――そういう「心」が気高いのです。「心」が大切なのです。
 師匠に「何かをしてもらおう」とか、「守ってもらおう」などという、甘えた卑しい心の弟子が何人いても、何ごとも達成しない。
 「師匠を、何としても守ってみせる!」
 「師匠とともに難を受け、一緒に戦い抜く!」
 この「獅子王の心」の弟子が一人立てば、一切が成就する。これが仏法の「師弟の道」であります。牧口先生が大難の時は、戸田先生が一人立たれた。戸田先生が大難の時は、私が立った。厳然と、お守りしました。

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