Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国幹部研修会 一人、ただ一人立てばよい

1997.3.28 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  指導者は顔色を生き生きと
 今年も、桜花の「四月二日」が巡りくる。その日を前に、恩師を世界に顕彰する、ここ「戸田記念国際会館」に集うことができた。
 新たな息吹を生命に吹き込み、心のギアをがっちりと合わせて、広宣流布の「前進の勢い」を、いやまして加速してまいりたい。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり
 ――この御本尊は、まったく、よそに求めてはならない。ただ、我々衆生が法華経を持って南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのである――。
 戸田先生は、この御聖訓を拝して、言われた。
 「我々の命のこのなかに、赫々として、御本尊様が光っているのです」
 「ですから、我々の命は煌々と輝いている。だから、顔の色つやもよくなるのです」
 「信心していながら、顔色が悪いようではいけない。桜色にパッとしていなければならない。いくら年をとっていても、青年のような顔色、そう思うと私もうれしい」と。
 恩師の指導のごとく、リーダーは、妙法受持の偉大な生命力を、わが身に漲らせながら、常に若々しく、そして生き生きと指揮をとっていただきたい。
2  さて、今、中国は目ざましい発展を始めた。長い間の忍耐の果てに、旭日が昇り始めた。中国の革命は、百年の歴史をもつ。(孫文による共和国〈中華民国〉樹立が一九一二年)
 中国革命が成功したのはなぜか。重要な理由のひとつは、女性も敢然と立ったからである。「天の半分を支える」と言われる女性が立った。これが巨大な力となった。
 では、なぜ女性が立ち上がったのか? 何千年の間、「男性に従え」と教育されてきた中国の女性が、どうして続々と立ったのか?
 さまざまな角度があるが、一つの背景として、そこには、ある女性詩人のドラマがあった。のちに「革命の花」と謳われた秋瑾しゅうきん女史である。秋瑾とは、秋の「美しい玉」の意味になる。
 彼女は、三十一歳で処刑された。中国の「女性革命家第一号」と呼ぶ人もいる。いわば「中国のジャンヌ・ダルク」であろうか。
 若き彼女の壮烈な一生が、全中国の女性を揺さぶった。そして男性も、「こうしてはいられない」と、後に続いた。学会でも、女子部が頑張れば男子部もやらざるをえない。それに似ているかもしれない。
3  ″わが熱血あつきちしお波濤おおなみとなりて祖国を救わん″
 秋瑾の詩に、こうある。
  
 「一腔このむね熱血あつきちしお 灑去とびちらば 猶能く碧涛みどりのおおなみと化す」
  (竹内実・吉田富夫『志のうた 中華愛誦詩選』中公新書)
 ――この胸の熱き血潮ちしおを大切にしよう。(なぜなら、それが)飛び散ったならば、みどり色の大波となるからだ――。碧は海の色。青みどり。義人が流した正義の血は碧玉へきぎょくになると伝えられていた。
 自分は死んでもよい! その熱き血潮は、革命の波また波となって、私を殺した卑劣な権力者を押し流してしまうだろう! まさに彼女の言う通り、処刑の四年半後(一九一二年二月)に、孫文らによって清王朝は崩壊した。

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