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日蓮大聖人・池田大作

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第9回本部幹部会 第九回本部幹部会

1997.3.5 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  戸田先生の遺訓「核は魔もの」
 第三回神奈川県総会、第十八回芸術部総会、第九回本部幹部会、本当におめでとう!
 神奈川といえば、どうしても忘れられないのは「三ツ沢グラウンド」。
 一九五七年(昭和三十二年)の九月八日、あの横浜・三ツ沢のグラウンドでの″若人の祭典(第四回東日本体育大会)″における、戸田先生の「原水爆禁止宣言」である。
 先生はこの日、約五万人の青年に対して、青年への「遺訓の第一」として訴えた。
 「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」「たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります」(『戸田城聖全集』第四巻)と。
 戸田先生は、この神奈川から、「立正安国」の精神を、「世界の民衆の生存の権利」を、全人類に向かって宣言されたのである。
 ″人間には生存の権利があるのだ″″核兵器に殺されるのを我慢する義務など、絶対にないのだ″と。そして″この思想を広めるために、青年よ、立ち上がれ!″と。
2  ちょうど同じころ、あのポーリング博士も、世界平和への行動に立ち上がっていた。
 ポーリング博士〈一九〇一年〜九四年〉は″現代化学の父″と呼ばれる世界的な科学者。世界でただ一人、単独で二つのノーベル賞(化学賞、平和賞)を受賞した平和運動家。池田SGI(創価学会インターナショナル)会長とは八七年、九〇年、九三年〈二回〉に会談し、対談集『「生命の世紀」への探求』〈読売新聞社刊〉を発刊〈本全集第14巻収録〉)
 この年(一九五七年)、博士はワシントン大学で、核兵器の危険性について講演した。学生の中に飛びこんで、博士は叫んだ。
 「今こそ戦う時です! あなた方の生命を、そして未来の世代の生命を守るために。ただ座して、ヒロシマの悲劇を繰り返しては断じてなりません!」
 講演が終わるやいなや、感動した多くの学生が博士のもとへ詰めかけた。そして尋ねた。「私たちにできることは何でしょうか?」聞いた学生も立派である。
 こうして「核実験の即時停止」を呼びかける請願書をつくることになった。やりましょう! 署名運動を! ポーリング博士と学生は一体になって、運動に立ち上がる。世界的に有名な歴史である。
3  ポーリング博士――青年とともに平和の行動の先頭に
 「学生の中へ」「民衆の中へ」飛びこんで、「青年と一体」となって開始された戦いであった。ここに重大な意義がある。
 使命を自覚した青年の力は無限である。青年に託す以外に道はない。これは″鉄則″である。
 青年は純粋である。使命のために立ち上がり、損得の″計算″などしない。そうした青年の中に入って、一緒に戦おう。その若い力を、よい方向に引き出していこう――これがリーダーの根本の精神である。どうすれば若い力を、よい方向に引き出せるか。そのために心を砕き、尽くすのがリーダーである。
 青年に、威張ったり、青年を″アゴで使おう″などというのは、指導者として、すでに″おしまい″である。失格である。学会の幹部も、この点、よくよく気をつけなければならない。

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