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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表研修会(第3回) 「心」をつかめ! 「知恵」を出せ!

1997.2.1 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  沈黙は石ころ、雄弁はダイヤ
 徳川夢声氏(一八九四年〜一九七一年)。かつて一世を風靡した話芸の達人である。NHKラジオの「宮本武蔵」の朗読も日本中を魅了した。
 戸田先生は、この夢声氏と闊達な対話の花を咲かせた。(一九五七年〈昭和三十二年〉の八月、雑誌の対談で)
 戸田先生の座談の魅力は、さすがの夢声氏をも感嘆させたようである。
 ところで、この夢声氏が、人の心をつかむ話術を語った著書(『話術』白揚社)で、あるエピソードを紹介している。
 ある歌舞伎役者が名古屋の舞台に立った時である。突然、客席から「大根!」「大根!」(大根役者)という心ない野次が浴びせられた。弱い役者であれば、たちまちに立ちすくんでしまうところであろう。
 ところが、この役者はすかさず、芝居のセリフ回しそのままに「ダイコンとはだれがことだァァ!」(大根役者とは、だれのことだ!)と叫んで″見え″を切った(ポーズを決めた)。
 だが、客席も負けていない。セリフさながらに、「ワレがことだァァァ!」(おまえのことだ!)と言い返してきたのである。
 すると、間髪かんはつをいれずに、役者は、それを圧倒する迫力で、「あ、オレがことかァァァァッ!」(おれのことか!)とえ、再び見事な″見え″を切った。これで場内は、わいた。
 やんやの大喝采。この役者は、機転と話術で、意地悪な観客さえも、ファンに変えたのである。
2  どんな状況にあっても、言葉の力によって、人の心をつかみ、人の心を変えていける。
 この徳川夢声氏の持論は、「いいたいことも適当にいえない沈黙は石ころ、いいたいことが立派にいえる雄弁はダイヤモンド」(同前)である。
 黙ってしまっては負けである。学会の強さも、折伏のなかで鍛え上げた「ダイヤモンドのごとき、庶民の雄弁」にある。
 リーダーが会合で話す時も、「何のために」話すのか。「話のための話」ではいけない。「勝つための話」である。
 皆が、生活に勝ち、人生に勝ち、広布に勝っていくためのエネルギーを送るのである。皆の心を勝利に向かって爆発させていくのである。焦点の定まらない話であってはならない。
3  悪世末法である。妙法を、はじめから素直に信じる人は少ない。しかし、話を聞かせることが、下種になる。相手の生命に「幸福の種」を植えているのである。
 また、「法」のために悪口を言われれば言われるほど、自分自身の罪が洗われ、仏界が輝き出してくる。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「毀らん人にはいよいよ申し聞かすべし」――(妙法の)悪口を言う人には、いよいよ強く言い聞かせなさい――と。
 大聖人は、言論闘争の獅子王であられた。
 「例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい振舞・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ
 ――たとえば日蓮が(権力者の)平左衛門尉のところで堂々と振る舞い、言い切ったように、少しも恐れる心があってはならない――。
 この心で、私は戦ってきた。あの「大阪事件」の裁判でも。戸田先生を死ぬまで苦しめ続けた「権力の魔性」を打ち破るために。多くの民衆を泣かせてきた「冤罪」の闇を晴らすために。
 私は法廷にあって、若き創価の獅子らしく、真実を語り、正義を訴えた。そして昭和三十七年(一九六二年)の一月に無罪の判決。二月に完全勝利を勝ちとったのである。
 苦楽をともにした関西の同志のことは、永遠に忘れられない。この言論闘争・人権闘争の「使命の宝剣」を、わが青年部に私は託したい。

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