Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表研修会(第1回) 君よ挑め!「広布の山」へ

1997.1.31 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

前後
1  前人未踏のマッターホルンに青年は挑んだ
 日蓮大聖人は仰せである。「我日本の柱とならむ」と。「其の外の大難・風の前の塵なるべし」と。
 我々の精神の柱は「信心」であり、「広宣流布」である。ゆえに最大の危機は広宣流布の破綻であるといってよい。それ以外のことは「風の前の塵」のように、ささいな小さなことである。
 世界には、幾多の山脈がそびえ立つ。私も、ヨーロッパのアルプスを越え、アジアのヒマラヤを仰ぎ、北アメリカのロッキーを飛び、南アメリカのアンデスを越えながら、日蓮大聖人の仰せの「一閻浮提の広宣流布」へ大遠征を続けてきた。
2  一八六一年の八月。雄大なアルプスの峰マッターホルンに敢然と挑みゆく一人の青年がいた。弱冠二十一歳、イギリスの若き登山家ウインパー(一八四〇年〜一九一一年)である。
 マッターホルンの頂は、ピラミッドのごとく壮麗に天高く、そびえ立っている。標高は四四七八メートル。古来、「魔物が住む山」として恐れられ、「絶対に人間は登ることはできない」と言われてきた。
 数あるアルプスの山々の中でも、最後まで登頂されなかった険難の山である。この前人未踏の峰に、青年は大胆にも挑戦を開始した。しかし、初めての登攀は、あえなく失敗。それでも青年は不屈の負けじ魂を奮い立たせた。
 ″私が山に敗れるか。それとも山が私に敗れるか。決着をつけるまで戦い続ける!″と――。
3  来る年も、また来る年も、青年は険しい山へ勇んで向かった。ある時は、頂上の手前、わずか四百三十メートルにまで迫りながら、足を滑らせて、六十メートルも転落し、重傷を負った。またある時は、落石に襲われ、下山を余儀なくされた。こうして、実に七回にわたって、彼は悔し涙をのんだ。
 しかし、彼はあきらめなかった。巨大な目標に体当たりでぶつかってこそ、青年は、自分の小さなカラを破り、成長していく。
 一八六五年の七月十四日、八回目にして、彼はついに念願の山頂に到達したのである。彼を中心とする一行七人は、晴れ晴れと、勝利の頂上に立った。
 ″私は勝った!! 我らは我らの目標を征覇した!!″二十五歳の青年が成し遂げた快挙であった。
 青年ならば、″自分はこれをやりきった!″と胸を張れる、「青春の栄光の記録」を残していただきたい。

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