Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第3回本部幹部会 万年の勝利へ 人間王者の歴史!

1996.9.26 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  「私はやりきった」と黄金の生死を
 遠いところ、また毎日、ご苦労さまです。
 「人間としてできる最良のことは何でしょうか」
 こう問われて、ギリシャの哲学者アンティステネスは答えた。
 「幸せに死ぬことです」
 どんな有名人でも、財産家でも、苦しみ抜いて死ぬ人は、あまりにも多い。
 「世界の半分を支配する」と言われた四百年前のスペイン。その王であるフェリペ三世(一五七八年〜一六二一年)は死ぬ時、こう語った。
 「ああ、王になぞならなければよかった(中略)これほど苦しんで死んでゆくのに、私の栄光はどれほどのあたいがあるのか」(ジョナソン・グリーン編『最期のことば』刈田元司・植松靖夫著訳、現代教養文庫)
 これが人生の真実である。厳然たる生命の因果(いんが)の理法である。
2  日蓮大聖人は仰せである。
 「かかる悪所にゆけば王位・将軍も物ならず・獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず
 ――(死後の地獄という)このような苦悩の世界に行ったならば、王の位も、将軍の位も、何の役にもたたない。獄卒の責めにあう姿は、猿回しに回される猿と変わらない――。
 このような哀れな姿にならないために信仰しなさいとの厳愛の御言葉である。
 位や名声など虚像である。幻である。追いかけても何にもならない。それよりも無名であっても、人のため、法のために生きる人生が、どれだけ尊いか。「私は、これでいい!」「私は、やり切った!」と言える信念の人生のほうが、どれだけ幸福か。
 皆、同じ人間である。違うのは「境涯」である。「境涯」の違いだけは、死をも超えて永遠に続く。ゆえに「心こそ大切なれ」なのである。
3  ブルーノ――″われに正義あり ゆえに何ものも恐れず″
 きょうは、はるばるイタリアからメンバーが参加されているので、イタリアの話もしたい。
 フェリペ三世と同じころ、異端の罪で投獄され死刑になった殉教者がいた。イタリアのジョルダーノ・ブルーノ(一五四八年〜一六〇〇年)である。殉教のない宗教はない。殉教こそ宗教の誉れである。殉教こそ宗教の魂なのである。
 牧口先生も、戸田先生も、殉教であられた。私も殉教の決心でやってきた。自分の功徳など考えなかった。利益など眼中になかった。ただ命がけでやってきた。そうしてつくりあげた創価学会である。だから勝った。だから大聖人が厳然と守ってくださった。だから、これだけ世界的になった。

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