Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ロッキー・マウンテン最高会議 堂々とロッキーのごとく

1996.6.10 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  御金言どりの人生を
 遠いところ、本当にご苦労さま。美しきデンバーで、美しき心の皆さまにお会いし、私はうれしい。
 生きて生きて生き抜いていただきたい。希望をもち、希望を、ひとつひとつ実現しながら、毎日を「忍耐」と「勇気」で生き抜いていただきたい。
 御書が、仏道修行の根幹である。皆さまが、明るく、仲良く、福徳に満ち満ちて前進されることを願い、日蓮大聖人の御書を拝したい。
 「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」――わが心が本来、仏であると初めてわかることを、「大歓喜」と名づけるのである。いわゆる南無妙法蓮華経(と唱える人生)は「歓喜の中の大歓喜」である――。
 信心強き人は何ものも恐(おそ)れない。必ず、一切を克服できる。信心で乗り越えられない苦難などない。ゆえに、何があろうとも、根底は「歓喜の中の大歓喜」の人生となる。
2  「鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」――鏡に向かって礼拝する時、そこに映(うつ)る影(姿)がまた私を礼拝するのである――。
 人を尊敬する人は、人からも尊敬される。人に慈愛を注ぐ人は、自分も人から守られる。環境とは、根本的には「自分の姿が映った」結果なのである。
 「一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性ほっしょう真如しんにょの明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり
 ――(悩める)迷いの生命は「磨かない鏡」です。これを磨くならば、必ず真実の悟りの智慧(ちえ)の明鏡となるのです。深く信心をふるい起こして、日夜に、朝に夕に、また常に怠らず磨かなければなりません。どのように磨けばよいかというと、ただ(御本尊に)南無妙法蓮華経と唱えたてまつることを(生命を)磨くというのです――。
 題目をあげ抜いた人には、だれもかなわない。広宣流布に生きゆく「唱題の人」こそ最高の「栄光の人」である。
 「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」――(完全なうつわが水をもらさないように)信心の心が完全であれば、人々に平等に功徳を与えていく仏の智慧の水は(その心に)かわくことはありません――。
 信心があれば智慧が出る。智慧が信心の証である。また平等大慧とあるように、「平等」「公平」が仏法の指導者の要件である。
3  「金はやけばいよいよ色まさり剣はとげばいよいよ利くなる・法華経の功徳はほむればいよいよ功徳まさる」――金は焼けば、いよいよ色がよくなり、剣はとげば、いよいよ鋭くなる。法華経の功徳は、賛嘆すればするほど、ますます増していくのです――。
 心こそ大切である。妙法を賛嘆する心に功徳があふれる。また妙法を弘める「人」をほめたたえる心に功徳がいや増す。
 リーダーは皆をたたえ、安心させ、和やかな雰囲気をつくっていただきたい。皆が「本当に楽しいな」と思うところに、広宣流布は広がっていく。ともあれ、″御金言通り″の人生ほど崇高なものはない。

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