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第九十八回本部幹部会、第一回愛知県総会… 「いちばん幸福な人」とは「勇敢なる民衆」

1996.3.24 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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1  「幸・不幸は、一生の結末を見なければわからない」
 本部幹部会、また歴史的な第一回愛知県総会、おめでとう!
 「愛知」とは「知を愛する」と読むことができる。素晴らしい県の名である。
 この地から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の天下人三人も生まれている。人材を生む天地である。
 ご存じのように、「哲学(フィロソフィー)」という言葉は、「知を愛する」すなわち「愛知」を意味するギリシャ語「フィロソフィア」に由来する。(フィロは愛する、好む。ソフィアは知恵)
 そこで古代ギリシャの七賢人の一人、ソロンの話をしたい。ソロンは、アテネの民主制の基盤を築いた指導者であり、詩人としても名高い。約二千六百年前の人物である。
 (前七世紀から前六世紀に活躍。ソロンの改革は数多い。指導者の政策に対して法廷に訴える権利を市民に与え、あからさまな抑圧や権利の乱用を防いだことなど、民主社会の基礎となる基本的平等を確立したと評価されている)
2  ソロンが、ある王国を訪れた時のことである。
 権勢を誇る王の宮殿に招かれた。王は絢爛たる王宮の莫大な富をソロンに自慢する。ありとあらゆる財宝を見せつけた後、王は質問した。
 「ソロンよ。あなたは、有名な哲学者であり、世界を旅して見識も豊かと聞いている。そこで聞きたい。今までに会ったなかで、一番、幸福な人はだれか?」
 王は、ソロンに、巨大な権力と富を持った自分ほど幸福な人間はいないと言わせたかったのである。しかし、ソロンの答えは、王の期待を裏切った。彼は、アテネの一人の市民の名前をあげた。
 その市民は決して特別な人間ではなかった。実直そのものの人柄。善良な子どもに恵まれた。生きるに困らない程度の財産。名もない。地位もない。だが、この市民には勇気があった。愛するアテネを守るために敢然と戦い、そして死んでいった。その生涯には人々から深い感謝が捧げられていた。
 賢人ソロンは、この「勇敢な市民」こそ「第一の幸福者」であると王に告げたのである。
 王は不服であった。「では第二の幸福者はだれか?」とさらにたずねた。王は、次こそ自分の名があげられると期待した。
 しかし、ソロンが名前をあげたのは、仲が良く、親孝行な兄弟であった。
 この兄弟は、母親を優しくいたわり、最高に喜ばせた。そして人々の祝福に包まれ、穏やかに死んでいった市民であった。ソロンは、この兄弟を「第二の幸福者である」と判定する。
 王は怒った。どうして私ではないのか。権力者の自分をさしおいて、ごく平凡な市民が幸福とは、よくない、と。
 権力者は、自分ほど偉い人間はいないと思っている。だから、いばりたいし、民衆を下に見る。しかし、そんな″特別な人間″などいない。いるはずがない。そんなものは虚像である。
3  ソロンは静かに語った。
 「ギリシャの民衆の知恵は教えています。人の幸・不幸は、時とともに変化していく。ゆえに目先だけではわからない。長い目で見なければわからない、と。ちょうど、スポーツの競技をしている途中では、だれが勝利者か決められないようなものです」
 王と賢人ソロンとの対話は、それで終わった。王は納得せず、不機嫌なままであった。
 ところが、それから数年後──。王は戦争で敗れる。捕虜となって処刑される身となってしまった。
 火あぶりにされる寸前、王の胸中に蘇ったのは、かつてのソロンの幸福論であった。「幸・不幸は、一生の結末まで見なければわからない」と。ソロンが植えた「智慧の種」が、死を前にして芽をふいた。王は自分の傲りを悔いながら、「ソロン!」と大声で三たび、叫んだ。
 すると、この叫びを聞いた敵の王が処刑をとりやめ、「ソロンとは、いかなる人物か?」と尋ねた。そして王からソロンとの対話の様子を聞き、感嘆して王の命を助けてあげた。
 こうして賢人ソロンの英知は、一人の王の命を救い、もう一人の王まで教訓したのであった。
 (ソロンの話はヘロドトスの『歴史』青木巌訳、『プルターク英雄伝』鶴見祐輔訳などを参照)

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