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日蓮大聖人・池田大作

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第1回沖縄記念総会 沖縄の「開かれた心」に学べ

1995.3.26 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  沖縄戦50年──青年よ忘れるな、権力の残酷さを
 きょう三月二十六日は五十年前、沖縄戦が開始された日である。その日を「アジア・太平洋の世紀」の開幕記念として、第一回沖縄記念総会が開催されたことは、深い意味がある。
 五十年前のこの日、慶良間諸島に米軍が上陸(昭和二十年三月二十六日)。住民の集団自決、日本軍による住民虐殺などの悲劇の幕が切られた。
 (那覇の西三十キロにある慶良間諸島だけで、集団自決で絶命した住民は五百人を超える。慶良間に補給基地を確保した米軍は四月一日、沖縄本島に上陸。沖縄戦における住民の犠牲は正規軍人を上回り、十五万人を超えた)
 私は毎日、沖縄戦のすべての犠牲者の方々を追善しているが、けさも懇ろに追善させていただいた。
 住民の三人に一人が亡くなったともいわれる。世界史でも、まれに見る悲痛な歴史である。それは、語るには、あまりにも痛ましい。
2  ただ一点、将来のために一緒に確認しておきたいことがある。それは、沖縄戦ほど「日本の権力の魔性」を雄弁に証明したものはない、という事実である。
 なぜ、あれほどの犠牲者が出たのか。それは、「日本の本土を防衛するため、なるべく長く、米軍を沖縄に釘付けにしようとした」戦略からであった。
 初めから、そういう作戦であった。沖縄の国土は本土のために″捨て石″にされ、″盾″にされ、″手段″にされたのである。
 (日本軍〈沖縄守備軍〉の作戦方針は「戦略持久戦」、つまり「沖縄作戦は本土決戦を有利にみちびくための時間かせぎの捨石作戦であるというのが作戦参謀の根本思想であった」〈大城将保『改訂版 沖縄戦』、高文研〉)
 日本軍は住民を守るどころか、住民を虐待し、簡単に殺していった。
 (一例として、米軍が三月二十六日に上陸した慶良間諸島の座間味島では、軍の隊長名で「住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、老人子どもは忠魂碑前に集合、全員自決せよ」という通達が出されていた)
 「日本の軍隊は『国民を守る』軍隊ではなく、『権力者を守る』ための軍隊であった」──これが根本の事実である。
 私は、「二度とだまされてはならない」「断じて許してはならない」と叫びきっておきたい。
 戦後も「日本を守るため」の名分のもと、日本にある米軍専用施設・区域の七五%が、日本の国土の〇・六%しかない沖縄に集中している。
3  日本は明治維新の時も、沖縄に恩義がある。たとえば、薩摩藩が、幕府も持っていない海外情報を正確に知っていた背景に、琉球からのルートがあった。琉球は当時、海外と頻繁に交流があったからである。
 また、倒幕を可能にした摩藩の経済力も、琉球を支配して得た利益の賜であったことは歴史上の事実である。
 こうした事例からも、″沖縄があったからこそ、明治維新もあり、日本の近代化もあった″と言われている。ところが、日本は恩を知るどころか、一貫して沖縄を利用し、踏みつけにしてきた。この歴史を断じて繰り返させてはならない。
 「権力の魔性」は、残酷である。そのことをいちばん心の奥底で、肌身で知っておられるのが、沖縄の皆さまである。
 私が小説『人間革命』をこの地で書き始めた理由も、沖縄が一番「権力の魔性」によって苦しめられた国土だからである。小説『人間革命』は、「民衆による『権力の魔性との闘争』」を描く小説だからである。(拍手)
 (昭和三十九年〈一九六四年〉十二月二日、沖縄本部二階の和室で『人間革命』の執筆を開始した)

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