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日蓮大聖人・池田大作

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第85回本部幹部会、第30回婦人部幹部… 「喜びの五月三日」へ賢者の行進を!

1995.2.25 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  人権の闘士パークス女史──私は走り続ける、生ある限り
 本部幹部会、婦人部幹部会の開催、おめでとう。
 幹部会に合わせ、全国でたくさんの会合が開かれている。
 この会場には、四月から海外の日本人学校に赴任する教育部の代表の先生方が見えている。ご苦労さま、お元気で。(拍手)
 また、2・17「農村部の日」の意義を込め、農村部の代表の方々も来られている。
 創価大学の女子卒業生のグループ「創春会」の皆さま、結成二十周年、おめでとう。
 また、「優秀無冠の友」の代表の皆さま、本部職員OBの皆さまも、ご苦労さま。
 そして信頼する第二東京、後継の青年部、東京の区長・区婦人部長、世田谷区、山梨県の、それぞれ代表の皆さま。さらに、海外からは、二十三カ国・地域から求道の友が集われている。
 心より、ご苦労さま、ありがとうと申し上げたい。
2  私は毎日、世界からたくさんの連絡を受ける。きょうも、アメリカから連絡が入った。
 サンフランシスコの名門高校として有名な「国際学アカデミー」。その講堂に、公民権運動の母であるローザ・パークス女史と私が握手を交わしている光景を、生徒の皆さん方が見事な壁画に描いてくださった。
 その除幕式が二十四日、すなわち日本時間のけさ(二十五日早朝)、晴れやかに行われた。その報告が入ったのである。式典にはゴア副大統領をはじめ幾人もの著名人から祝福のメッセージが寄せられた。テレビ局や新聞社も数多く集まったようだ。
 今月、八十二歳になられたパークス女史も、お元気な姿で出席された。私もご招待を受けたが、出席する代わりにメッセージを送らせていただいた。
 パークス女史は、阪神大震災にあたっても、私に即座に、温かいお見舞いの連絡をくださった。また女史に昨年、アルバムを届けた兵庫の女子部に対し、長文の励ましの手紙を書いてくださった。本当に偉い人というのは、こういう方である。女史の深き人格に私は感動した。
3  「ノー!」──差別バスで座席を立つように命じられたパークス女史が毅然と言い放ってから、今年でちょうど四十年である。(一九五五年十二月一日の女史のこの一言から、差別撤廃への「バス・ボイコット運動」が始まった)
 除幕式でも、女史はこの時のことを語られた。
 (式の席上、″バスの席を譲るよう命じた運転手に、パークス女史は「足が疲れていて動けない」と答えて拒否した″と紹介されたことに対し、女史は語った。
 「私の″痛み″は、足にあったのではなく、私が人間として受けた″痛み″でありました。私たちが差別され、虐待され続けてきたことに対する痛みは、とても耐えがたいものでした。しかも、それは良くなるどころか、ますます悪化していく状態にありました」「私が生きている限り、私が動ける限り、偏見や人種差別、人々を後退させる悪に対して戦い抜いてまいります」〈「聖教新聞」一九九五年二月二十七日付〉)

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