Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第84回新春本部幹部会、第6回埼玉総会… 民衆の団結で″歓呼の一年″を!

1995.1.7 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

前後
1  平和闘争の五十年
 全世界、全日本の同志の皆さま、おめでとうございます。
 勇気と朗らかな埼玉の壮年部、青年部の皆さま、そして信心強盛で勇気ある婦人部ならびに女子部の皆さま、おめでとうございます!(拍手)
 埼玉へは三年ぶりの訪問である。皆さまがお元気で、うれしい。(拍手)
 また、埼玉の幹部の方は人がよくて、温厚である、人格者であると言われている。心強い埼玉である。(拍手)
 言葉遣いが大切である。言葉は人格の表れである。とくに幹部は、他の人を下に見て、呼び捨てにしたり、いばった言葉遣いであってはならない。
 皆を尊敬して、「さん」づけで呼ぶなど、言葉を心から大切にする運動を提案したい。これは、今後の広宣流布の発展に重大なことなのである。
2  本年は、第二次世界大戦の終結から五十年──。大きな節目の年である。
 この半世紀、学会は平和へ、広宣流布へと、敢然と闘争してきた。三類の強敵による迫害を、すべて跳ね返しながら、ここまで発展してきた。
 今年の国内の新年の集いひとつとっても、創価学会が最大である。全世界約百カ国でも行われた。広宣流布は、いやまし進んでいる。(拍手)
 しかも学会は何があっても明るい。
 どんなに迫害されようと、生き生きと活動している。これほど強い団体は、ほかにない。だから、妬みも大きい。
 今年もまた、日本中、そして世界中で、二十一世紀に向かって、朗らかに前進しましょう!(拍手)
3  ノルマンディー上陸作戦──勝因に庶民のスクラム
 第二次大戦で、ナチス・ドイツに決定的な打撃を与えた有名な決戦がある。″天下分け目″の戦いといわれる「ノルマンディー上陸作戦」である。この作戦は、一九四四年(昭和十九年)六月六日、悪天候の合間をぬって決行された。
 同じこの日、牧口先生は、非道な軍部との闘争のさなか、獄中で最後の誕生日を迎えられた。七十三歳であられた。高齢にもかかわらず、軍部という、権力のなかの権力と真っ向から戦われていた。
 作戦の舞台となったのは、北フランスのノルマンディー沖。連合軍は、そこから上陸を開始する。突如として現れた連合軍。電光石火の行動。絶え間ない攻撃は、やがてドイツ軍を打ち破る。
 なぜ作戦は成功したのか──。その理由の一つに、連合軍が、ナチスの″手の内″を完全に見破っていたことが挙げられる。
 私どもも、悪の謀略を見破っている。ゆえに勝利は間違いない。(拍手)
 ナチスには、敵の攻撃をキャッチするレーダー基地が、北フランス(ドーバー海峡、イギリス海峡に臨む)に約百二十カ所もあった。ドイツの科学は時代の最先端にあった。軍も強力であった。
 しかし、ナチスの占領下にあったフランスの民衆は、決して屈していなかった。ナチスの悪と残虐さを憎み、基地の場所を連合軍にうまく通報していたのである。
 そこには農民もいた。商人もいた。いずれも無名の庶民であった。
 連合軍は、こうした草の根の情報を最大に活用し、ナチスを撹乱する。それが、連合軍のノルマンディー上陸をナチスが予測できなかった一因といわれる。

1
1