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日蓮大聖人・池田大作

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北海道研修道場(別海)での語らい 友好の「北のシルクロード」を

1994.8.16 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  「宝の大自然」を守り育てる道場
 別海は素晴らしい。
 大きな自然がある。大きな心の人々がいる。何もかも広々としている。
 道場にはエゾシカもいる。キタキツネもいる。シマリスも、フクロウもいる。
 タンチョウ(特別天然記念物)が飛んでくる。ウサギ(エゾユキウサギ)や、モモンガ(エゾモモンガ)も住んでいる。
 創価大学と学園の調査では「三百六十五種の植物」「九十二種の鳥類」を確認した。
 渡り鳥の移動ルートとも重なっている。世界的にも貴重な「宝の大自然」である。
 道場では、この自然を守り、さらに理想的なものにしようと努力してきた。針葉樹・広葉樹を混えた植林も進められている。
 同志の皆さまが寄贈され、自ら植えていただいた木もある。これまでに八万本が植林されている。長年にわたる皆さまのご努力に、心より感謝申し上げたい。
 青年部も環境保護に真剣に行動しておられる。
 (釧路で一九九三年一月から「環境問題連続講座」(五回)を開催。六月には、ラムサール条約〈国際湿地条約〉会議の関連行事として「環境展」を成功させた。九月には、北海道青年部の環境問題への取り組みを「別海アピール」として発表した)
 ここは″サケの故郷″でもある。
 「北海のあまの橋立」と謳われた野付半島。野付湾に注ぐ当幌とうほろ川にも、秋にはシロザケをはじめ、北太平洋を一万キロも旅したサケたちが、生まれ故郷をめざして続々と帰ってくる。
 川を埋めつくす、その姿は壮観という。
 当幌川は道場にも流れている。
 春にはアメマス、サクラマス。夏には、カラフトマスの姿も見ることができる。
 川の流域には竪穴住居跡も発見されている。遺跡は道場の中にもあって、オホーツク文化との関係などが注目されている。
 くわしいことは略させていただくが、古来、「北のシルクロード」というべき交流の道が、北海道と大陸の間に開かれてきた。
 大陸と地続きだった時代もある。遺伝子の研究で「日本人の起源はバイカル湖の付近か」との説も出ているほどである。
 この別海町あたりにも、日本・ロシアの交渉の歴史が刻まれている。
 ロシアからの通商使節ラクスマンが来たのも、別海の沖である(一七九二年)。この時、日本からの漂流者で、有名な大黒屋光太夫を連れてきている。
 (ラクスマンは国交を求めたが成功しなかった。大黒屋光太夫〈幸太夫〉については、一九九二年十二月の第六十一回本部幹部会、第九回中部総会でスピーチ〈本全集第81巻収録〉)
2  このほど、研修道場に「裸足のトルストイ」像が除幕された。
 (作者の彫刻家・河田卓さんは制作の動機をこう語っている。(1)道場に来た方々が、トルストイ像を見て、名誉会長の指導を思い浮かべるきっかけにしてほしい。(2)雄大な道東の自然と調和して生きるために、自然と生きたトルストイの晩年に学び、「精神の力」を思い起こすきっかけにしてほしい、と)
 私は、この像を、これから始まる「ロシアと日本」「ロシアと北海道」の壮大な交流のシンボルとしていただきたいと願っている。
3  トルストイを、私は若き日から愛読してきた。
 彼はただ一人で、専制権力と戦い、権威の宗教と戦った。いかに迫害されようと、破門されようと、堂々と一人立ち、大宇宙と語らいながら、永遠を見つめて生きた。
 彼に権力の魔手が伸びたとき、人々は言った。
 「トルストイを入れるほど大きな牢獄は、ロシアにはない!」
 彼は、ロシア民衆の「精神の柱」であった。否、人類全体に「戦う人間主義」の光を送る光源であった。その光は、北海道にも届いていた。
 北海道の少女と、七十九歳のトルストイとの交流のエピソードがある。
 明治四十一年(一九〇八年)。札幌に住む十六歳の文学少女(村木キヨさん)が、世界の大文豪トルストイに敬愛の手紙を送った。
 日露戦争が終わって三年後、トルストイの死の二年前であった。
 ちなみに、そのころ戸田先生は八歳。厚田尋常小学校に入学されていた。
 トルストイは、病気療養中にもかかわらず、その手紙を翻訳して読み、返事を口述筆記した。そして、自筆のサイン入りの写真とともに送った。
 「あなたの親切なお言葉に、ことのほか感激し、そのような遠い国に住む人々との、このような精神的結びつきの証に接して、大いに喜んでおります。あなたが今後ますます精神的に向上されるようにと願っております」(一九〇八年八月十七日付)
 短い手紙だが、「ロシアと日本との精神的結びつき」を喜び、少女の「精神の向上」を念願している。
 (手紙と写真は今、札幌村郷土記念館にある。一九九二年、この少女が住んでいた札幌市東区の青年部が、札幌のロシア総領事館を通して、サハリンに「医薬品」や「スキムミルク」を贈った。フォーキン領事は、同青年部の集いに出席し、池田名誉会長が何度もロシアを訪問して、平和と文化の友好交流を結んできた「先見性と行動力」を称賛したいと語っている)

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