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日蓮大聖人・池田大作

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第78回本部幹部会、第三回SGI世界青… 「生きる」とは自己実現の戦い

1994.7.12 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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1  世界に羽ばたく求道と誓願の青年リーダーを歓迎
 きょうは、海外三十カ国から三百人の″二十一世紀の大指導者″の皆さまが集まっておられる。本当にご苦労さま。ありがとう。(拍手)
 インドネシアの研修の皆さまも、ようこそいらっしゃいました。
 皆さまが、どれほど真剣な心で日本に来られたことか。世界的な不況である。円高でもある。とくに若い皆さま方にとって、経済的にも、どれほど大変であったことか。
 その分、皆さま方の福運も、福徳も無量であることを確信していただきたい。(拍手)
 皆さまの行動は強制ではない。自発で来られた。義務ではない。求道心で来られた。
 また聖職者への依存やおすがりの信仰では決してない。使命を自覚した″気高き誓願の旅″である。
 これこそ誉れある「地涌の菩薩」の姿であり、集いであると明確に申し上げておきたい。(拍手)
2  ご存じのように、先日(七月二、三、四日)、私は、チリのエイルウィン前大統領と語り合った。
 豊かな人格と教養を備えた哲人政治家として、世界的に有名であられる。また、「詩人の国」チリにふさわしい、詩心の豊かな指導者でもある。
 語らいの席でも話題となったが、チリを代表する詩人に、パブロ・ネルーダ(一九○四〜七三年)がいる。今月の十二日で、ちょうど生誕九十周年を迎えるようである。
 ネルーダは、信念の行動ゆえに、迫害され、亡命も余儀なくされた。
 ──偉大な人物には、必ず迫害がある。迫害のない人は、本物ではない。人民のため、世界のため、国のために、本当には行動していないのである。
 これは、仏法の世界でも同様である。迫害こそ、真実の仏法者の証である。御書に、きちっと、明確に仰せの通りである。
 ネルーダは、迫害のなか、不屈の闘争を貫いた勇者であった。その存在は、今も光り輝き、尊敬を集めている。その詩も多くの人々に愛され続けている。
3  詩人ネルーダ──わが誉れ、それは「人間への希望」
 彼は一九七一年、ノーベル文学賞受賞の折、こう語っている。
 「私は常に人間を信じて来ました。決して希望は捨てませんでした。だからこそ、たぶん私は私の詩と私の旗を掲げて、ここ迄たどり着くことが出来たのだと思います」(「ネルーダ」篠沢眞理訳、『ノーベル賞文学全集』25所収、主婦の友社)
 ″人間を信じ、自分を信じ、断じて希望を捨てない″──ここに、彼の力の源泉があった。いかなる苦しみにあっても、「希望」が輝いている限り、その人は「勝利」の人である。苦難に勝っているのである。
 彼はその生涯において、ノーベル賞のほかにも、数々の栄誉に輝いた。
 しかし、のちに彼は、こう振り返っている。
 ″私は、それらの賞よりも、もっと大きな賞を獲得した″と。その「もっと大きな賞」とは何か。それは、「人民の詩人」という栄光であった。
 すなわち、社会でいちばん苦労している庶民が、自分を応援してくれる。そして、その庶民と苦しみをともにしながら、彼らに勇気を贈っていく──それが、彼にとって、何よりも重大なことだというのである。
 彼は、この「人民の詩人」という栄誉について、力強く述べている。
 「多くの者が軽蔑しはするが実際には多くの者の手の届かない賞なのだ(中略)私は私の国の人民の詩人となることができた。これが私の賞だ」「これが私の月桂樹だ」(『ネルーダ回想録──わが生涯の告白』本川誠二訳、三笠書房)

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