Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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イギリス最高会議 「知恵」の太陽を社会に照らせ

1994.6.11 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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1  「大樹」のごときイギリスのSGIを
 三年ぶりに、お元気なイギリスの皆さまとお会いできて、本当にうれしい。
 理事長を中心に、イギリスの友は見事に前進されている。文化と哲学の城タプロー・コートを基点として、うるわしき友情のスクラムを、晴れ晴れと広げておられる。
 難民支援や人権展等の社会貢献の活動も、まことに尊い。
 皆さま方の真心で荘厳されたタプロー・コート。その庭園に堂々と立つ大樹のごとく、イギリスSGIが偉大なる年輪を刻んでおられることを、私はたたえたい。
 イギリス人には、高尚で誇り高い方が多い。
 木も嵐に耐え、風雪に耐えてこそ、大樹と育つ。人間も同じである。さまざまな困難を毅然と耐え、毅然と乗り越えてこそ、境涯は深まる。リーダーとしての資質も磨かれる。風格も身についていく。
 とともに今回、大勢の未来部の皆さんが、素晴らしい歌声で歓迎してくださったが、この、かけがえのない希望の若木を、さらに全力で育ててまいりたい。二十一世紀のために。
2  現代文明の二つの錯誤──知識と知恵、病気と死の混同
 戸田先生はよく、現代文明には二つの大きな錯誤があると指摘しておられた。
 その一つは「知識」と「知恵」の混同。もう一つは「病気」と「死」の混同である。
 すなわち知識と知恵は本来、ポンプと水のような関係であり、知識は、知恵を汲み上げるための手段である。
 しかし、現代人はあまりにも「知識」「技術」を偏重し、肝心の「知恵」の開発を怠ってしまった。幸福を生み出す源泉はあくまでも「知恵」である。
 イギリスの大文豪・シェークスピアの有名な言葉に、「知恵と運命が相争うとき、知恵が全力をつくして戦えば、運命も知恵を破ることはできません」(『アントニーとクレオパトラ』小津次郎訳、『世界古典文学全集』46所収、筑摩書房)とある。
 その通りである。いわんや、「以信代(信を以て慧〈智慧>に代う)」の妙法を持った皆さんである。限りなき知恵を沸き立たせながら、燦然たる勝利の人生を開いていただきたい。
 厳しい不況にも負けず、お一人お一人が、大福運に包まれゆくことを、私は真剣に祈っている。
3  戸田先生が指摘されていた第二の迷妄は、「病気」と「死」の混同である。
 いかに医学が進歩して、寿命が延びても、「病気の克服」イコール「死の克服」ではない。
 この「死」という根本問題を避け、目をそらしてきたところに、現代の大きな行き詰まりがある。この点は、トインビー博士も繰り返し論じておられた。
 仏法はこの「生死」という、二十一世紀の最重要の課題に、真っ正面から光を当てた哲理である。
 大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり」──今、日蓮および門下が南無妙法蓮華経と唱え奉るのは、生死の苦しみの闇を照らし晴らし、涅槃たる悟りにいたる智慧の火を明らかに現すのである──と。
 どうか、この最極の法理とともに生きる「永遠の歓喜」の軌道を、歩み通していただきたい。
 その輝きを縁ある、すべての人々に示しきっていっていただきたい。

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