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日蓮大聖人・池田大作

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5・3記念の集い、第一回首都圏総会、第… 創価の道に「二十一世紀の宗教」の光輝

1994.5.7 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

前後
1  牧口先生「難を恐れず大聖人の正義に殉教」
 「創価学会の日」、おめでとう!(拍手)
 皆さま方の大闘争と信心と団結で、すべてを乗り切って、未曽有の「五月三日」を迎えることができた。心から感謝申し上げたい。ありがとう!(拍手)
 ここ東京牧口記念会館は、晴れた空のもと、″花と緑に囲まれたパレス(宮殿)″のようである。本当に素晴らしい。(拍手)
 創価学会の前身である創価教育学会。その最後の総会は、いつ行われたか。
 それは昭和十八年(一九四三年)の五月二日であった。東京・神田の教育会館に約七百人が出席。これが戦前の最後の総会である。
 牧口先生、戸田先生の逮捕の二カ月前。すでに当時、学会には、権力による弾圧の魔の手が次第にのびてきていた。それでも勇敢に総会を開催した。弘教をし抜いた。今とは比べものにならない、厳しい状況のなかで──。
 牧口先生は、この最後の総会においても、日蓮大聖人の仏法の正義を、高らかに獅子吼された。
 じつは、この総会があった五月ごろにも、すでに牧口先生は、約一週間にわたって留置され、取り調べを受けられた。逮捕される前、すでに″前戦″は始まっていたのである。
 これに対し宗門は、卑劣にも軍部に迎合し、世間に迎合して学会を圧迫した。今の宗門も、いわばその延長である。
 総会の翌六月、宗門は、学会に対して神札を受けよと迫った。だが牧口先生は、私たちの師匠は、厳然とはねつけられた。
 ″大聖人の教えと違うではないか! 我々は大聖人の教えを信奉しているのだ″──こう決然と戦い、殉難の道を選ばれたのである。
 その時に妥協すれば、難はなかったであろう。しかし絶対に妥協されなかった。ここが重要なところである。
2  御聖訓「すこしも・おずる心なかれ」
 大聖人は「兄弟抄」に、こう仰せである。
 「いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず」──いよいよ、恐れる心根や姿があってはなりません──。
 「がうじやう強盛はがみ切歯をしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい振舞・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ」──信心強盛に強く歯をくいしばり、決してたゆむ心があってはなりません。たとえば日蓮が平左衛門尉の所で堂々と振る舞い、言ったように、少しも恐れる心があってはなりません──。
 「なにと・なくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人に・わらはれさせ給うなよ」──特別なことがなくても、人間は一度は死ぬことが決まっている。したがって卑怯な態度を見せて、人に笑われてはなりません──。
 平左衛門尉といえば、当時の最高実力者である。封建時代ゆえに、今とは比較できない強大な権力を振るっていた。そのような権力者に対しても、大聖人は恐れなく振る舞われた。そのように、断じて何ものも恐れてはならないとの御命令である。
 悠然たる御本仏の御姿である。しかも門下の人数も少ないなかで──すさまじいまでの強き強き信念。これが真実の信仰の世界である。
3  宗門は、この明確な大聖人の御聖訓に違背した。完全なる裏切りであった。今も、人々から馬鹿にされ、″笑われる″姿となっている。
 牧口先生は、この御書に仰せの通り、少しも恐れなく、真実の大聖人の正統の誉れを永遠に刻まれたのである。ここに日蓮仏法の魂魄があり、学会精神があり、広宣流布の精神がある。この後に続いていける私どもは、何と幸せであろうか。(拍手)

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