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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表者協議会での語らい 世界で今、「人間革命」がキーワード

1993.12.7 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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1  ″生きた宗教″に高まる内外の期待
 「行動」を起こせば、波が起きる。行動を「持続」すれば波は高まる。
 世界の人々の幸福を願って、私どもはたゆまず語り、行動している。その営々たる努力に対し、皆さまが想像する以上に、内外に理解の波、共感の波、期待の波は高まっている。
 きょうは、そうしたなか寄せられた世界の識者の所感から、少々、紹介させていただきたい。
 ある日本の著名な識者からは、ハーバード大学での講演(一九九三年九月二十四日、テーマは『二十一世紀文明と大乗仏教』)について、次のような声が寄せられた。
 「スケールの大きい文明論・宗教論であり、感銘いたしました。
 コックス教授、ヤーマン教授のどちらも、この分野の最高峰の学者であり、このお二人が池田SGI(創価学会インタナショナル)会長を招待したということは、ハーバード大学として、池田会長こそ大乗仏教の代表者であると位置づけたことになると思います。
 (講演のなかで)私がとくに印象深い点は、(1) 『人間復権の機軸』を論じられる中で、『宗教的なるもの』の重要性を訴え、ドグマの宗教ではなく、人間のための宗教を主張されていること。
 (2) 科学と宗教の問題で、機械論的因果が″なぜ″という問いに答えないことを指摘する一方、仏教はその問いを真正面から受けとめる、として縁起論を展開されていることです。
 いずれも、この講演の基調である『真の″人間のための宗教″とは何か』というテーマに貫かれた指摘であり、二十一世紀にむけて、宗教のあり方を立派に論じられたと思います」
2  また、この方は、宗門問題についても、こう語っておられる。
 「宗教は常に時代とともに生きていかねばならない。人間のための宗教とは、すなわち、『宗教は人間万般にわたる事象に無関係であってはならない』ということです。
 その意味から、私は創価学会こそ、現代における″生きた宗教″であり、宗教を活性化させる希望の存在であると評価しています。人間の救済とは無縁の″死せる宗教″と化した今日の日本宗教界において、創価学会の存在意義は、きわめて大きい。
 一方、宗門は、他の既成仏教と同様、形式のみにとらわれ、信仰の内実の全くない状態に堕落してしまった」
3  さらに、″聖職者のあり方″の観点から、今回の問題の本質について論じられている。
 「中世カトリックでは聖職者は絶大な力をもっていました。そこでは、聖職者という″事柄″″地位″に効果があるのであり、その人格や人間性、行いとは何ら関係がなかったのです」
 聖職者が行う洗礼、聖餐などの典礼は、聖職者がどんな悪行をしても、聖職者という立場にあるかぎり有効である、という考え方である。
 「これに対し、十二世紀ごろから民衆の間に、抗議運動が巻き起こりました。彼らは『聖職者だから尊いのではない。その人間の信仰の内実こそ問われるべきであり、人格、信仰心、人間性によって効果は決まる』と主張したのです。
 ゆえに『堕落し、信仰心のかけらもない人間が、いくら聖職者という立場にいたとしても、典礼は無効であり、その効果は行う人によって決まるのだ』と」
 こうした運動が、やがて宗教改革の夜明けへと結びついていった。この識者は、そうした歴史を通し、次のように続けておられる。
 「したがって、大切なのは信仰の内実であり、心の中身です。
 ″法主に反対したから破門する″などという宗門は、外面の事柄のみにとらわれ、信仰の欠落した権威主義の極みです。
 ″法主の許可がなければ、正しい本尊ではない″の論理も、全く同じです。
 人を救うという本来の宗教の使命を忘れ、形式のみにこだわる宗門とは、断固妥協することなく、戦っていただきたい。
 法主自身に″あなたの信仰はいったいどういうものか″と問いつめたならば、中身のある答えができるのか、全く疑問です。どうか自信をもって創価学会の道を堂々と歩んでください」

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