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日蓮大聖人・池田大作

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四国栄光総会 二十一世紀は「民衆賢者」の時

1993.12.3 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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1  咸臨丸の大航海を支えた四国の人々
 四国は、最高です! 四国は勝ちました!(拍手)
 美しき天地。毎日、素晴らしい気候。昨日は、快晴のなか、庵治の四国研修道場を訪問し、「桂冠詩人展」も見せていただいた。すべてを含んで、香川と四国の皆さまに感謝申し上げたい。
 御礼の意味を込めて「創価婦人新聞」の新年号に掲載する詩「楽観主義に生きる偉大な母に贈る」を、全国に先駆けて発表させていただきたい。(拍手)
 (詩が朗読される)
 香川県では、この十一月から今月にかけて、「聖教新聞」の購読推進の伸び率が愛媛、高知、徳島と、全国をリードしているとうかがっている。「日本一」の前進、おめでとう。「日本一」の福運、おめでとう。(拍手)
 皆さまの尊い健闘をお応えする為にも、私は現在、聖教新聞に連載中の小説『新・人間革命』を、懸命に執筆している。(拍手)
 今、掲載されているのが第一章「旭日」の章である。ここでは、アメリカへの私の初めての旅をつづっている。世界への第一歩。一九六〇年(昭和三十五年)のことである。
 それから、ちょうど百年前の一八六〇年(万延元年)、ここ四国・香川の地から、はるばる太平洋の荒波を越えて、アメリカに渡った勇敢な人々がいた。その歴史を、私は心の中で大切にしてきた。
 それは、あの有名な「咸臨丸」の太平洋横断である。(以下、福田清人『咸臨丸物語』、『世界ノンフィクション全集』2所収、行政。参照)この「咸臨丸」で実質的に航海を支えた水夫(船乗り)五十人のうち、じつに三十五人までが、ここ香川の塩飽しわく諸島の出身者であった。
 長い伝統を誇り、経験、訓練、努力で鍛えられた塩飽の人々の秀でた航海術。そして、荒波をものともしない勇気。困難に対しては団結して当たる誠実な人柄──。それらの力が、歴史に輝く大航海を見事、成功させたと語り継がれている。
2  このエピソードは、私にとって、思い出の一コマと重なる。それは、二十二年前、懐かしい昭和四十六年(一九七一年)の「四国文化祭」であった。この史実をテーマにした創作劇「咸臨丸」が演じられたのである。私の胸には、その時の皆さんの真剣と歓喜の姿が、今なお、鮮やかに焼き付いている。
 この劇でも演じられたように、航海は、春の季節風が激しく、厳しい悪天候との闘いであった。晴天の日は、数えるほどしかなかった。ちなみに高松市の日照時間は長いことでも知られる。
 太陽は、無上の宝である。以前から私は、長寿社会を迎えるにつれて、人は必ず陽光あふれる地に集まると申し上げてきた。
 昭和三十五年七月、返還前の沖縄を訪問した折も、将来は必ず″東洋のハワイ″になりますよと語ったが、今その通りになりつつある。
 太陽の光に恵まれた素晴らしき香川も、更なる大発展の可能性に満ちていると申し上げたい。(拍手)
3  さて太平洋横断は、連日の暴風雨。船は激しい波に翻弄され、海水は容赦なく船に入ってくる。病人も続出した。艦長の勝海舟も、幕府への不満があるところに船酔いが重なって、船室にこもりがちであったようである。
 そのなかで、香川の塩飽の庶民は、たくましく働いた。厳然と船を守り、航海を進めた。この水夫たちの命がけの奮闘があって、船は、ついにサンフランシスコに到着。日本の浦賀を出帆して以来、三十七日目のことであった。
 こうして日米友好への新たな歴史の開幕を告げることになる。

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