Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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岡山の勤行会 断じて負けるな、幸福勝ち取れ

1993.11.30 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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1  戸田先生の確信「広宣流布は私がやる」
 きょうは、戸田先生の指導を少々、紹介しておきたい。私たちの進む原理・原則は全部、戸田先生が教えてくださっている。
 昭和二十五年の晩秋であった。先生の事業は挫折。前途に光明はまったく見えない。そんななか、学会の第五回総会で、先生は、理事長辞任を発表された──。その総会で、戸田先生が話されたのが、先生の使命である「仏勅」についてであった。
 「広宣流布は、仏意であり、仏勅であります。われわれ凡夫の力をもってして、これを左右することなど、絶対にできないのでありまして、仏意にあらずんば、絶対に不可能であります」
 「たとえいかなる大難にあおうとも、ひとたび題目を唱えたならば、水をのみ、草の根をかみ、そのために死ぬる日があろうとも、命のあらんかぎり、諸君とともどもに、広宣流布をめざして邁進いたしたい。これこそ、わたくしの唯一無上の願いであります」(昭和二十五年十一月十二日)
 この半年後(昭和二十六年五月三日)、戸田先生は、暗雲を払われて、第二代会長に就任されたのである。このころ、戸田先生の苦衷を知る者は、だれもいなかった。私と二人だけで築いた歴史であった。
2  戸田先生は、また、ある時は、こう語られた。
 「ここに、ひとつの覚悟をもって会長になった以上には、つらいも悲しいもあるものか。私のからだは皆さまの前に投げ出して、広宣流布の大闘士として、私は戦います」
 「あなた方に、広宣流布をしてくれということは、戸田は頼みません。広宣流布は私がいたします。あなた方は、ご自分のしあわせのために折伏しなさい。あなた方は、御本尊様を拝んで折伏する以外には、幸福になる道はないのです。こうなったら、あきらめて折伏しなさい。
 これは、私のためでもなければ、日蓮正宗のためでもなければ、御国のためでもない。あなた方のためにやることが、結局は広宣流布のためであり、御国のためになるのである。だから、皆さんの信心の努力の大半を自分自身の幸福のために使って、その残りを広宣流布のためにこっちへよこしなさい。豆腐のカス(おから)みたいなものをこっちによこして、自分がしあわせになって、そうして、そのカスで広宣流布をやるのだから、楽なものです」(昭和三十年一月二十三日、西日本三支部連合総会)
3  戸田先生は、「広宣流布は私がやるのだ」と言われ、一日一日、文字どおり身命を削られた。
 「広布のため」と「会員のため」以外には、何もない先生であられた。私も同じである。この心を私は、皆に継いでもらいたい。
 大聖人は、次のように仰せになっている。
 「人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、譬へば人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし
 ──人に物を施せば(それがかえって)我が身を助けることになる。たとえば、人のために灯をともせば、(その人の前を明るくすると同時に)自分の前も明るくなるようなものである──と仰せになっている。
 人のために尽くせば、善根となり、自分に戻ってくる。反対に人に非道をなし、苦しめた場合には、いつか同じことを自らが受けなければならない。これが因果の理法である。なかんずく、人々を最高の正法へ導いた功徳は、どれほど大きいことか。
 反対に、日顕は、仏意仏勅の創価学会の破壊を謀り、失敗して、学会を破門した。ゆえに還著於本人げんじゃくおほんにん(還って本人に著きなん)で、自滅の道をたどっている。醜い嫉妬の心から、人の家に火を付けようとして、我が身に火が付いてしまい、火ダルマになっているようなものである。

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