Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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中国・岡山の旭日最高会議 戦う「信心」に仏界の太陽が昇る

1993.11.29 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

前後
1  ナポレオン「責めてこそ栄光はある」
 八年ぶりに懐かしい岡山に来て、本当にうれしい。皆さまが、お元気で、明るく迎えてくださり、心から感謝申し上げたい。岡山は「限りなき前進の岡山」である。また「旭日の岡山」である。絶対に勝たねばならない岡山である。
 きょうは、常勝の「旭日将軍」ナポレオンの言葉を思い出すまま語り、岡山ならびに中国の「新生の前進」に期待したい。
2  「私の力は私の栄光による。私の栄光は私の勝利による」
 ナポレオンは、「勝利」を続けてこそ、「栄光」と「力」が続くことを確信していた。ゆえに、彼は″仕事″と″改革″へ、生涯、突進した。
 「仏法は勝負」である。広宣流布は勝負である。ナポレオンも他の英雄も、最後は敗れた。しかし、広宣流布の戦だけは絶対に負けるわけにはいかない。何があっても、創価学会は負けてはならない。
 断じて勝つ。その勝利のなかにしか「栄光」はない。広布の勝利にしか、人類の幸福はない。
 自分にとって、一家にとって、支部にとって、県にとって今、「勝利」とは何なのか。到達すべき、その揺るぎなき一点に向かって、まっすぐに前進せねばならない。まっすぐに闘争せねばならない。勝負は、勝つか負けるかである。中間はない。ゆえに戦いにも中途半端はない。
3  「攻めよ」とナポレオンは言った。
 「塹壕の中にとどまっているほうが負ける。これが兵法の定説だ。体験からいっても、理論からいっても、この点には異論がない」
 どんな完ぺきな要塞にいても、「守り」になれば負ける。「攻め」に徹してこそ栄光はある。″この砦は大丈夫だろう″と指導者が油断する時、すでに敗北は始まっている。
 「攻め」の前進を避けてはならない。逃げてはならない。敗北も勝利も、まずリーダーの一念のなかから生まれる。
 「決して落胆したりしないこと。それが将軍としての第一の素質である」
 何が起ころうと動じない。「もう、だめだ」などと思わない。必ず「勝利即栄光」への突破口を開く。それが指導者である。それが信仰者である。「絶望するのは愚か者だけ」という。いわんや大聖人の仏法は煩悩即菩提である。障害即前進のチャンスなのである。
 「我に不平なし」。この気概が、ナポレオンを英雄にした。
 環境のせいにして、すぐに「できません」「無理です」と″不可能″を口にする惰弱さを嫌った。自分にも厳しかった。
 「環境だと! 私が環境をつくるのだ」
 これがナポレオンであった。
 不平家や文句屋で、偉大な仕事を成した人は一人もいない。

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