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日蓮大聖人・池田大作

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カナダSGIバンクーバー総会 生きること自体が楽しい境涯を感得

1993.10.1 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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1  鶏鳴に生きる人生は美しい
 「懸命」な姿は美しい。私はコーラスをはじめ、皆さまの「懸命」な姿に感動しました。
 上手かどうかは別にして、真剣な指揮、一生懸命の歌声──家事や仕事で忙しいなか、総会のために努力されてきた、その「心」に打たれる。懸命な人ほど美しいものはない。
 いいかげんな人、ふざけ半分の姿、要領だけの言動、それらは少しも美しくない。
 女性が「きれいになろう」と懸命にお化粧をする。結果はどうあれ、その真剣さ自体が何より美しいのではないだろうか。
 たとえ、料理が苦手でも、何とか、おいしく食べてもらおうと工夫する、その愛情が美しい。家族も感動する。守ってあげたいと思う。
 男性も、一生懸命、働いて家族を安心させようと頑張る姿、また玄関を入るやいなや、奥さまに「愛しているよ」と真剣なまなざしで語る誠実さ、それらを見れば、奥さまだって心が動くにちがいない。
 反対に、本気で働いているんだかいないんだかわからない男性もいる。学会活動も、やる気があるのかないのかわからず、愛情も真剣なんだかどうなのかわからない。歩く姿も、ぐにゃぐにゃと、カナダのリスのほうが、よっぽど、はつらつとしている──これでは心を打つはずがない。もちろん、これはカナダの話ではなく、日本の話である。
 やはり「真剣」な人を、周囲は守ってあげようと思う。会社の社長も、懸命な社員を守る。親も、子供が一生懸命、親孝行したり勉強していれば──たとえ格好だけでも──何とか応えてあげたいと思う。
2  それと同じく、諸天善神も、十方の諸仏・諸菩薩も「懸命」な信心の人を守ってくださる。御本仏日蓮大聖人が必ず守ってくださる。
 勤行は御本仏を賛嘆申し上げる儀式である。仏様を最高に賛嘆する詩であり、歌であるともいえる。それは同時に、永遠なる宇宙生命の賛歌であり、自分自身の仏界を賛嘆していることでもある。
 勤行の時間(夕べの)といえば、他の人はテレビの時間であったり、団欒の時間であったり、休息の時間かもしれない。また一日の疲れが出るころでもあろう。そうした時に、一生懸命勤行し、御本仏を賛嘆申し上げ、また仏の使いとして広宣流布に向かっていく。その「真剣の人」を御本仏が守ってくださらないはずがない。
 仏法も人生も「勝負」である。勝つか負けるか、幸福になるか不幸になるかである。懸命な人は、必ず勝つ。必ず勝利と幸福に輝いていく。
 このことを、きょうは「バンクーバー宣言」の第一条としたいと思うが、どうだろうか。
3  余裕有る人生は内実が豊か
 第二条は「余裕をもって生きる」。
 たとえば朝、早めに起きれば、一家で楽しく団欒しながら食事ができる場合がある。一事が万事で、余裕が人生を豊かなものにする。
 朝ギリギリの時間に「あなた! 時間よ! 何してるの!」と、たたき起こされ、「すぐ勤行しないと遅れるわよ!」。こうして、けんかとともに一日が始まる。
 勤行は、幸せになるためのもののはずである。けんかをするためのものではない。
 もう少し、心にゆとりをもって、言葉も聡明に、たとえば「あなた。ゆっくり寝ていただいてかまいませんが、朝ご飯はできています」、「温かいうちに召し上がっていただくと、うれしいですわ」──こう言えば、夫も気持ちよく起きるかもしれない。

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