Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第六十七回本部幹部会 「人間革命」の無上道を前進!

1993.6.15 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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1  指導者は、知道者、開道者、説道者たれ
 目には見えないが、大空には「鳥の飛ぶ道」がある。大海には「魚の道」がある──と、御書に仰せである。(「虚空に鳥の飛跡あり人此をみず・大海に魚の道あり人これをみず」)
 これが仏法の鋭い眼である。
 では、人間が人間として生きていく「最高の道」はどこにあるか。ここに根本的な、また全地球的次元での課題がある。
 その「無上道」を教えているのが仏法である。まだこれ以上のものがあるという「有上道」に対して、「無上道」──これ以上のものはないという最高の道を説いている。
 法華経の中で、釈尊は、みずからのことを「知道者ちどうしゃ(道を知る者)」「開道者かいどうしゃ(道を開く者)」「説道者せつどうしゃ(道を説く者)」であると述べている。これは、薬草喩品に「我は是れ一切知者、一切見者、知道者、開道者、説道者なり」(開結二八一㌻)とある言葉である。
 仏意仏勅の我が創価学会は、日蓮大聖人の直系として、正しき「この道」をまっすぐに歩んでいる。
 一方、日顕宗は、大聖人の「正道」に背(そむ)き、完全な「邪道」を歩んでいるのである。
2  中国の天台大師は、この法華経の文を、″身口意しんくい三業さんごう″に配して解釈している。
 「道を知るとは、こころしまないことをいう。道を開くとは、身を惜しまないことをいう。道を説くとは、口を惜しまないことをいう」と。
 すなわち『法華文句』に「知道は意不護いふごう、開道は身不護を謂う、説道は口不護を謂う」と。
 「意を惜しまず」──友のため、社会のため、平和のために、たえず心を砕き、祈りきっていく。
 「身を惜しまず」──広布のため、悩める人々のために、どこへでも駆け付け、動いていく。
 そして「口を惜しまず」──語りに語り、「声仏事を為す」と仰せ通りの行動を重ねていく。だからこそ、私はスピーチをはじめ、語りに語っている。
 迫害を恐れ、反動を恐れて、言うべきことを言わず、ずる賢く立ち回る。仏法上、それは「悪」である。また指導者失格である。
 「意」も「身」も「口」も惜しまず──ここに仏法者の要件がある。この三つが、そろっているかどうかである。
 そして、これが人間としての「最高の道」である。釈尊も、日蓮大聖人も、この道を教えられた。その通りに進んでいるのが創価学会であり、我が同志である。
3  (会合に先立って、まず次のように語った。
 きょうは、まず演奏から、お願いしましょう。入梅で蒸し暑いし、何かと忙しくて疲れることが多いから、少し気分転換に──。本日は、学会の「名曲」の作曲に携わった方々の代表に来ていただいている。少しでも、皆さまの慰労になれば幸いである。
 どうすれば、皆さまが、心休まるか。いつもと角度を変え、どうすれば新鮮で、おおらかな気持ちになれるか──それを真剣に考えるのが指導者である。
 「会員の心」「民衆の心」に気を配らないのは、本当の指導者ではない。指示し、命令しているだけでは、軍隊と同じである。また、民意をまったく忘れた今の日本の政治のようなものだ。温かく、細やかな気配り──それが真の指導者である。そして創価学会の世界である。

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