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日蓮大聖人・池田大作

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フィリピンSGI最高会議 普遍の「人間の道」が「仏道」

1993.5.9 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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1  苦難をはねかえす反発力と楽天主義
 マニラで再び、お元気な皆さまとお会いでき、私はうれしい。
 「家族的」なのが貴国の伝統と私はうかがった。SGI(創価学会インタナショナル)も隔てなき「家族の世界」である。皆さまは「世界一仲の良いフィリピン家族」として、楽しく、充実した一生を送っていただきたい。
 この二年間で、フィリピンSGIの皆さまは大発展された。成長された。しかも、多くの苦しみを乗り越えての勝利であられた。
 今世紀最大級といわれるピナツボ火山の噴火(一九九一年)。大きな被害をもたらした台風(九一年)。続いてマヨン山が噴火(九二、九三年)した。
 とくにピナツボ火山の噴火では、他地域まで、強風で運ばれた火山灰が降り注いだ。昼も薄暗いほどであったという。稲妻が走り、大地も断続的に揺れる。七十キロ以上離れているマニラでも、真っ白い灰が街を白く染めたと、うかがっている。
 心にも暗雲が垂れこめたにちがいない。しかし、フィリピンの方々は負けなかった。たくましく青空を仰ぎ、希望を生み出してこられた。私は被害の方々に改めてお見舞い申し上げるとともに、その力強い努力をたたえたい。(火山噴火や、台風災害の折、SGI会長ならびにSGIは、ただちに現地にお見舞いを送っている)
 トインビー博士は、かつて訪れたフィリピンの印象をこう記しておられる。
 「いくら抑えつけられてもはねかえす反発力をもっている」「活発さと楽天主義のあることに気づく」
 わが地涌の友も不思議なほど、大きな被害がなく、また一切を″追い風″に変えられた。
 きょうは「青年文化センター」の明年完成、「未来部」「大学会」の誕生など朗報の相次ぐ最高会議となった。センターには「SGI百十五カ国」「日本の全都道府県」「東京の全区<区>」そして「フィリピンの全支部」の樹を記念植樹したいと考えている。
 きょうの歴史の日を記念し、フィリピンの英雄ホセ・リサール(一八六一〜九六年)の信条など、少々スピーチを残しておきたい。
2  ただ「人間としてどうか」を見る
 仏法は人間主義である。私は人間主義である。
 人間。ただ人間。ひたすら人間を見つめる。国籍とか、社会的立場とかイデオロギーなどではない。「人間」こそが基準である。私は常に「人間」に向かう。
 先日(四月十七日)、イタリアのマッツァ氏(元上院議員)と会談した。席上、氏は言われていた。
 「どの国にも、いい人もいれば悪い人もいます。イタリアもそうです。イタリアのいい人とつき合ってほしい」と。平凡なようで含蓄のある言葉であった。
 全部、人間しだい、本人しだいである。人間としてどうか──それがすべてである。
 中国近代の三代にわたる女性の一生を描いた、ある小説のなかで、激動の「文化大革命」を経験した若き主人公は考える。
 ──私は人間には二種類しかないことを知った。人間性のある人と、ない人だ、と。
 イデオロギーによって子供が親を裁き、友が友を裏切り、生徒が教師に暴力を振るい、文化・芸術を破壊する──そういう狂気の時代であった。
 悪人がのさばり、善人が叩きのめされる。主人公は、もはや、どんな「思想」も、どんな「正義」も信じられない。それらが、人を傷つけ苦しめるものであれば、″ないほうがいい″と思う。
 ただ、その人が、どういう人間性をもっているか。それだけを私は見る、私は信じたい、と結論するのである。
 「偏狭なる正義」による惨禍──個人も社会も、経験を積み、成熟するにしたがって、この主人公と同じ結論になるのではないだろうか。
 世界全体も、「イデオロギーの時代」は終わった。多くの不幸な体験を経て、「人間第一」という人間主義の方向へ向かっている、と私は見たい。
3  仏法は、仏が示した「人間の道」
 仏法も本来、この「人間としてどう生きるか」を説いたものである。
 日本でも、明治以前は、「仏教」という言葉は、一般には使わなかった。「仏道」といった。「仏による道」、仏が示した「人間の道」である。
 西洋思想が入ってきてから、他と区別する意味で、広く「仏教」と呼ばれ始めたとされている。
 釈尊は、だれもが歩むべき「人間の道」を説いた。
 仏法というと、何か普通の人間とかけ離れた世界の話のように思う方も一般にはいるかもしれない。また聖職者が自分を神秘にし権威づけするために、あえて、そのような説き方をしてきたことも事実である。
 しかし、本来の仏法は決してそうではない。釈尊が初めて考え出したものでもない。永遠に存在し、だれにでも当てはまる普遍的な「人間の道」「生命の道」を発見し、示したのが仏法なのである。

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