Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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リオ代表者会議 仏法は知恵、信心は行動

1993.2.10 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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1  大発展のリオで恩師の生誕日を共々に祝う
 九年ぶりにブラジルを、そして、実に二十七年ぶりに懐かしいリオの地を訪れることができた。わが愛する宝友の皆さまとお会いでき、これほどうれしいことはない。
 皆さまが、今日まで、どれほど懸命に戦ってこられたか。その尊い労苦を、私はよく知っているつもりである。
 仲の良い、麗しいスクラムで前進してこられた。多彩な民族・文化を見事に調和させながら模範の地域を築いてこられた。会友運動にあっても世界の先駆を切ってくださった。
 とくに、昨年は、会友三千人が出演しての「エコ文化祭」、国連による「地球サミット」の折の「環境と開発展」(リオ展だけで七万二千人が見学。サンパウロ・クリチバ・マナウスでの展示と合わせて、三十六万人以上が来場した)と、偉大なる「文化」の歴史を刻まれた。
 すべての戦いにおいて、″ライバル″であるサンパウロも驚くほどの、堂々たる「常勝リオ」の実証を示された。まさに、″世界一″の見事な発展ぶりである。私は心から賛嘆したい。
2  本日は、奇しくも戸田先生の生誕記念日(二月十一日)の″前夜祭″となった。生きておられれば九十三歳。昨日、わざわざ空港まで出迎えてくださった、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁(九十四歳)と、ほぼ同じ年代である。
 私は、このリオの地に、戸田先生と、ご一緒に来ていると思っている。
 時差の関係で、今、日本は二月十一日の朝を迎えている。ちょうど「無冠の友」、配達員の皆さまが、聖教新聞を配達してくださっている時刻である。
 恩師の真実を後世に残しゆく小説「人間革命」の連載も、この二月十一日付をもって完結した。私は、全十二巻の「あとがき」を、ここリオの地で綴るつもりである。
 本日は恩師をしのびながら、戸田先生、また牧口先生の指導を通し、そして御書を拝しつつ、記念のスピーチをさせていただきたい。
3  戸田第二代会長「″どうすれば勝てるか″がわかる信仰者」
 大聖人は、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」──天が晴れれば、地は明るくなる。法華経を識る者は世法を明らかに知ることができるであろう──と仰せである。
 空に太陽が出て、明るくなれば、地上のすべてが明らかになるように、妙法を信仰する者は、社会の現象の本質を賢明に見抜き、社会の中で信仰の実証を示していくことができる、と教えられているのである。
 戸田先生は、この御文を拝して、指導された。
 「よく、御本尊を受持しているから、商売の方法などは、考えなくても、努力しなくとも、必ずご利益があるんだという安易な考えをする者がいるが、これは大いなる誤りであって、大きな謗法と断ずべきである。なぜかならば、『法華を識る者は世法を得可きか』とのおおせである。すなわち、御本尊を受持したものは、自分の生活をどう改善し、自分の商売をどう発展させたら良いかが、わかるべきだとのおおせである。
 それを、わかろうともせず、研究もせず、苦心もしない。されば、その人の生活上の世法を識らないがために、自分の商売が悪くなっていくのを、御本尊に功徳がないように考えたり、世間に考えさせたりするのは、謗法と断ずる以外には無い。
 『世法を得可きか』というおことばを、ご利益があるんだというような読み方は、断じて間違いであることを、知らなくてはならない。信仰を始めて、一、二年の者ならいさ知らず、三年も四年もしておって、自分の商売の欠点とか、改善とかに気のつかぬ者は、大いに反省すべきであろう。されば、自分の商売に対して、絶えざる研究と、努力とが必要である。
 吾人ごじん(私)の願いとしては、会員諸君は、一日も早く、自分の事業のなかに、『世法を識る』ことができて、安定した生活をしていただきたいということである。これは、吾人一人の願いではなくて、もったいなくも、大御本尊の御意であろうと信ずる。もし、諸君が世法を識ることができて、安らかな生活をなしえたならば、大聖人様におかれては、いかばかりお喜びであろうか。諸君よ、よろしく信心を強盛にして、一日も早く、大聖人の御意にかなわんことを」──と。
 この戸田先生の願いは、そのまま、私の願いである。

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