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日蓮大聖人・池田大作

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第五十八本部幹部会・全国婦人部幹部会 学会は「功徳聚の世界」

1992.9.25 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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1  無冠の共の尊い姿
 「今朝、素晴らしい虹が出ました」という報告を、千葉の勝浦をはじめ房総方面、大阪、その他、各地から多数いただいた。天も祝福する本部幹部会、婦人部幹部会、本当におめでとう!
 五時何分かという、早朝のことである。報告のほとんどが、聖教新聞を配達してくださっている「無冠の友」からであった。
 早起きをされ、まだ人通りも少ない道を、″仏法の便り″である聖教新聞を届けながら走っていく。何という尊きお姿であろうか。
 ご苦労は多いが、仏法の眼から見れば、一足ごとに永遠の福運を積んでおられる。また、どんなに朝の光が美しいか。どんなに朝の空気がおいしいか。虹が素晴らしいか。朝寝坊の幹部には絶対にわからない。
 配達員の方々は、そうした美しさを味わいながら生きておられる。心豊かな方々である。どうか無事故の日々を、だれよりも幸せな生活をと私は願っている。
 きょうは、韓国の友が福岡研修道場で、台湾の友が沖縄研修道場で参加されている。大変に、ご苦労さまです!
2  功徳の同志の荘厳な出発
 毎日、全国の多くの同志から、お手紙を頂戴する。拝見するのに、一日がかりになる場合もある。きょうは、その中から、先日、北海道の舘百合子さん(第七北海道婦人部長)からいただいた、お便りの一部をご紹介したい。
 舘さんのお父さまの故・岩崎武雄さん(昭和29年入信、平成2年去、享年86歳)は、故・緒方博愛さん(昭和28年入信、同61年去、享年69歳)らとともに、北海道創価学会の土台を築かれた大功労者であられる。
 お手紙には(「母にも、溢れるような激励の数々、本当に生命を何年ものばしました」と記されたあと)「父も、亡くなる年の春、厚田の雪がとけない春先に、長ぐつを車につんで出かけ、八十六歳の父には足もとが危なそうなのにハラハラしながらも、雪をこいで(かきわけ)、三代の会長先生の墓前にたどりつき、祈っていた姿を思い出しました。そして、この四月一日、戸田先生の法要の日、元気に杖をついて、墓前に参り、″戸田先生、私もそろそろ、おそばに行きます″と、つぶやいていました。その半月後に調子が悪くなり、ひと月後に亡くなりました」とあった。
 岩崎さんは、ご高齢になられてからも、事業を営まれていた。見事な功徳の姿で、学会の広布推進に多大な貢献をされた方である。
 確信といい、実証といい、草創の幹部は、立派だった。今は、すべてに恵まれ過ぎていて、訓練を受けず、かえって信心の偉大さを知らずにいる場合がある。
 岩崎さんは雪をかきわけ、かきわけ、歴代会長の墓前へ進んでいかれた。歴代会長の墓といっても、私はまだ元気で生きているのだが、三代が並んで造られているのである。そして岩崎さんは″そろそろ戸田先生のおそばに″と、安祥として旅立たれた──本当に崇高である。
 熱き師弟の心、学会の心、信心の心がある。素晴らしい成仏の姿だと信ずる。
3  今月十三日に亡くなられた、神奈川・逗子の山縣明子さん(昭和33年入信、支部指導委員)も、忘れ得ぬ同志の一人である。享年六十六歳であられた。
 山縣さんは、元海軍大将・山縣正郷氏の娘さんである。母・愛子さん(昭和36年入信)とともに、立派な信心を貫かれ、学会の発展に、最大に尽くしてこられた。
 山縣さんが亡くなられた日、私も、神奈川の地にいた。次女・ひろみさんの話によると、山縣さんは最後に「先生……」と(二度)呼ばれ、安らかに息をひきとられたそうである。荘厳な出発たびだちであられた。

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