Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI文化本部代表との質問会 「幸福の博士」「人生の大統領」に

1992.8.7 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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1  仏法の目的は、人生を″楽しみきる″境涯に
 ドクター(博士)の皆さま、ようこそ! 遠いところ、また暑いところ、本当にご苦労さま。
 皆さまは、それぞれの分野で、学問と教育のプレジデント(大統領)であられる。実生活においても、すべてを楽しみきっていける「人生のプレジデント」であっていただきたい。人生を″楽しみきる″のが仏法の目的なのである。
 日蓮大聖人は、われわれはこの地球上に遊びに来たのだ、苦しむためではない、と教えてくださっている(衆生所遊楽しゅじょうしょゆうらくの義)。確かに現実は、煩悩があり、愛別離苦あいべつりく(愛するものと離れる苦しみ)もあり、病気もある。″苦悩の集まり″かもしれない。しかし、それらを全部、「楽しみ」「幸福」に変えていけるのが「妙法」である。
 生きていること自体が楽しい。老いても楽しい。死んでも楽しい──こういう人生は、普通は「ありえない」かもしれない。しかし、それが「ある」と説くのが、仏法である。
 本当の幸福──。それは、名誉でも、お金でもない。健康だから、また、いくつ博士号を取ったからといっても、それだけで本当の幸せとはいえないであろう。美しい恋人がいても、いい人と結婚できても、結果が幸福とは限らない。
 また、国と国、政治家と国民、政党と政党の間も、いろいろな問題がある。宗教の世界にも、悪人は出る。隣近所のつきあいでさえ、悩みのタネになる場合もある。
 人間とは、困ったものである。このどうしようもないものを「業」という。
 結論的に言えば、「南無妙法蓮華経」という「不思議の一法」にのっとって生きる時、すべてを調和させながら、悪業をも変毒為薬へんどくいやく(毒を変じて薬となす)していけるのである。
 また「人間」は、つねに何らかの「縁」に左右されて生きている。「善縁」によって良く変わるか、「悪縁」によって悪く変わるか──。
 ゆえに、「善縁」に近づき、「悪縁」にも紛動ふんどうされず、何があっても、良い方向へ、良い方向へと向けさせていける自分自身をつくることである。一切を「善」と「価値」と「幸福」の方向へ向けていける自分であるかどうかである。
 こうした自身をつくるのが「信心」であり、その根本の法が「南無妙法蓮華経」である。
 その意味で、妙法への「信心」を確立した「心の王者」「境涯の王者」こそ「幸福の王者」である。一切衆生を、この「王者」にするための大聖人の仏法であり、創価学会なのである。
 きょうは、せっかくの機会ですから、質問会にしましょう。どうぞ、自由に、何でも聞いてください。
2  自分に自信が持てないのですが
 みんな、自信なんかありません。むしろ、ないのが普通です。
 かえって「自信がある」などという人は、傲慢な場合が多く、まわりとケンカばかりして、みんなにわれたりする。
 人間は自信がありすぎても不幸であるし、自信がなくても不幸である。
 要するに、大事なことは、″自分らしく″輝き、″自分らしく″一日一日を勝ち取り、″自分らしく″人生を向上させていくことではないでしょうか。目的に向かって、自分で自分を錬磨していくような前進であればいいのです。
 所詮、自分は自分であり、人は人です。人と比べてどうかではない。自分の人生です。自分が心の底で現実に何を感じているかです。
 仏法では「桜梅桃李おうばいとうり」「自体顕照じたいけんしょう」(万法の本体<自体>を照らし、真理を顕わすこと。「曾谷殿御返事」に「仏になる道はあに境智の二法にあらずや、されば境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり」とある。ここでは妙法への信仰によって、自身の生命の本来の働き、使命を発揮していく意味で使われている)と説きます。
 桜は桜、桃は桃です。桜は絶対に桃になれない。なる必要もないし、なっても不幸でしょう。
 自分も、どこまでも自分である。なりたくても、絶対に他人にはなれない──その、かけがえのない自分を、大事にし、励まし、満足できる自身になることです。
 その根本は唱題です。妙法を唱えることによって、ありのままの姿で無作むさの「仏」と輝いていくことになる。ここに根本的な、最高の自信があり、この「自体顕照」の光が我が身を飾り、荘厳させていくのです。
3  <よくわかりました。私は、ある程度の地位を獲得したことは確かですが、完璧主義のため、高い質を望むあまり(これでいいという)自信を持てないでいたのです>
 それ自体、素晴らしい「人生の歩み」です。″自分は、これで、もういい″というのは、いわば自信過剰であり、慢心に通じる。
 ″まだまだ″という、たゆみなき求道心、向学心、″これからだ″という挑戦の心、探求の心──それは仏法の観点からも、まことに尊い生き方です。価値創造の人生へのエンジンです。
 堂々たる自信を持っていただきたい。″最高の人生″を″美しい心″で生きておられるのだから──。

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