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日蓮大聖人・池田大作

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第五十五回本部幹部会、婦人部幹部会 晴れ晴れと″恐れなき人″が幸福の人

1992.6.2 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  「私益に目がくらんだ聖職者は最大の悪人」
 まもなく六月六日、初代会長・牧口先生の誕生日を迎える。牧口先生は明治四年(一八七一年)生まれで、今年は生誕百二十一年となる。
 先生は、価値判断の一つの基準として、「善悪」について、このように断言された。
 「一身一家の私益に目がくらみ、社会国家の公益を害するを悪人といふ。衆生の済度さいどを目的として起った宗教を一宗一派の生存繁栄に利用する職業宗教家の如きはその最大でないか。黄金万能の守銭奴も之によってでき上る」と。(このころ宗門は、軍部の弾圧を逃れ、保身をはかるため、大聖人の御遺文を十四カ所も削除し、御書全集を発刊禁止にしていた<昭和十六年>)
 まるで、今日を予見したような、鋭い洞察である。今、私どもも「まったくその通り」と納得できる。
 戸田先生は「牧口先生は偉大だった」と、常々、述懐しておられた。そのことが実感として胸に迫ってくる。
 牧口先生は、「一宗一派」などの狭い枠に、決してとらわれなかった。どこまでも「民衆の救済」「人間の幸福」という、大聖人の仏法の大目的を見定めておられた。「人間のための宗教」という原点をはずされなかった。そして″民衆を救うべき宗教を利用して、私利私欲を図る悪侶こそ、最大の悪人である″と、本末転倒の聖職者を厳しく弾劾されたのである。
 「黄金万能の守銭奴」──金がすべてとばかりに、大聖人の仏法を金儲けの手段とし、豪遊、贅沢三昧の堕落ぶり。信徒の供養を私物化し、取るだけ取ったら冷酷に切り捨てる。これが現宗門の姿である。
 牧口先生が戒められた通り、私どもはこの極悪の本性を鋭く追及し、永遠の勝利を確立したい。
2  「四菩薩が身に影のそうごとく必ず守護」
 きょうは「婦人部の日」(六月十日)を記念する集いであり、婦人部の皆さまに、あらためて最大の感謝と祝福を申し上げたい。
 大聖人は、ある女性の門下(千日尼とされる)に送られた御書で、こう仰せである。
 「此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩・前後左右に立そひて・此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人・道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ、譬へば・かげと身と水と魚と声とひびきと月と光との如し
 ──(妙法という)この良薬を持つ女性等を、この四人の大菩薩(地涌の菩薩の上首じょうしゅである上行・無辺行・浄行・安立行菩薩)が、前後、左右に添い立ち、この女性が立たれたならば、この大菩薩も一緒に立たれる(また、座る時も、臥す時なども、同様である)。この女性が道を歩む時は、この菩薩もともに道を歩まれる。
 たとえば「影と身」「水と魚」「声と響き」「月と光」のように(この女性の身を守って)離れることがない──。
 「此の四大菩薩南無妙法蓮華経と唱えたてまつる女人をはなるるならば・釈迦・多宝・十方分身の諸仏の御勘気を此の菩薩の身に蒙らせ給うべし、提婆よりも罪深く瞿迦利よりも大妄語のものたるべしと・をぼしめすべし、あら悦ばしや・あら悦ばしや
 ──もし、この四大菩薩が、南無妙法蓮華経と唱え奉る女性を離れるならば、釈迦・多宝・十方分身の諸仏のお叱りを我が身に受けられるのである。それは提婆達多よりも罪深く、瞿迦利くぎゃり(提婆達多の弟子で、舎利弗らを悪人に仕立てようと誹謗して地獄に堕ちた)よりも大ウソつきになると、お思いになりなさい。(したがって地涌の菩薩が妙法を持つあなたから離れることはあり得ないのであり)なんと悦ばしいことであろうか。なんと悦ばしいことであろうか──と。
3  妙法を唱え、広布に動く「信心」強き女性を、偉大な力用りきゆうを備えた地涌の菩薩が必ず守護されるとの御断言である。これほど頼もしく、安心なことはない。いかなる男性よりも頼りがいがあろう。
 昼夜を問わず、身に影の添うごとく一緒に動かれると、大聖人が仰せなのである。本当にありがたいことである。
 たとえば、会合に遅れそうになって、自分が駆け出すと、菩薩も一緒に走られるかもしれない。あわただしく家に帰ってきて、自分は冷蔵庫の牛乳やジュースでホッと一息入れても、菩薩方はまだ息を切らしておられるかもしれない。もちろん冗談であるが、それくらい、いつも一緒なのである。御書にそう説かれている。
 「四菩薩」なかんずく上行菩薩の守護とは、根本的には、御本仏が必ず守ってくださるとの仰せと拝される。そのために大事なのは、ただ「強き信心」である。
 かりに病苦や、さまざまな悩みにぶつかっても、四菩薩が、大聖人が、ともに戦ってくださる。一人ではない。孤独ではない。すべて力強く、乗り越えていける。すべて「幸福」へと転じていける。
 これを確信すれば、晴れ晴れと限りない勇気がわく。何も恐れることはない。そして″恐れなき人″こそが″幸福の人″である。
 「御義口伝おんぎくでん」には「上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す」と仰せのとおり、四菩薩は常楽我浄の四徳を表している。皆さまは、常楽我浄じょうらくがじょうの「幸の風」に包まれながら、悠々と、また堂々と、「勝利」と「満足」へ進んでいただきたい。
 婦人部の皆さまの日々のご活躍を心からたたえ、重ねて感謝申し上げたい。いつも、いつも、ありがとう! 本当にご苦労さま!

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