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日蓮大聖人・池田大作

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第五回東京総会、全国代表者幹部会 ″地球仏法″のネットワークは人類の希望

1992.5.12 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

前後
1  すべてを前向きに、そこに信心
 皆さまのお力によって、「五月三日」の祭典を、素晴らしい日本晴れで祝うことができた。心より感謝申し上げたい。
 きょうは東京の総会ということで、どうやら「眠れる獅子」も、やっと立ち上がったかと、私は期待し、喜んでいる。
 全国の各方面も真剣に戦っている。東京は本陣である。いちばん肝心かなめの東京である。東京が立ち上がり、東京が大勝利へ進めば、全学会の勝利に通じる。
 東京の皆さま、きょうから「立ち上がった獅子」として、よろしくお願いします。
2  きょうは何の日か。(会場から「日蓮大聖人の伊豆御流罪の日」との声)
 その通りである。よくご存じで素晴らしい。
 このことについては、後で触れるが、きょうは、また「看護の日」でもある。白樺会、白樺グループ(婦人・女子部の看護者のグループ)の皆さまに、全学会員を代表し、また国民として、謹んで日ごろの労に感謝申し上げたい。
 (五月十二日は、近代看護の開拓者ナイチンゲール<一八二〇〜一九一〇年>の誕生日。国際看護婦協会は「国際看護婦の日」と定めてきたが、日本でも昨年から厚生省が、この日を「看護の日」とし、この日をはさんで一週間を「看護週間」に制定した)
 ちょうどこの「看護の日」にケガをされたご婦人がいて、軽傷ですんだが、私は花束のお見舞いと一緒に、ユーモアを込めて、激励の伝言を贈った。私の古くからよく知っている方である。
 ──頭を、ちょっと打ったとのことですが、きっと驚くほど頭の回転がよくなって、来世はノーベル賞をもらえるかもしれません。おめでとう、と。
 もちろん、病気やケガに油断は禁物である。また、ケガなどないほうがよいことは言うまでもない。
 ただ、それはそれとして、何かあるたびに、すぐにくよくよし、悪い方向へ、悲しい方向へ、グチの方向へと受け止めていたのでは、人生は暗くなる。つまらない。宿命転換の力も出ない。
 何があろうとも、すべて、良い方向へ、元気が出る方向へ、変毒為薬の方向へ、朗らかに強く受け止めていくことである。そうできるのが「信心」である。
 この微妙な心のもち方、一念の方向性によって、幸、不幸は大きく左右されてしまう。どうせ生きるならば、すべてを前向きに、楽しく、とらえて生きたほうが幸せである。その、たくましき、喜びの一念こそが、宿命転換を急速に実現していく。
3  外護の信徒を「世尊の生まれかわりか」と御賛嘆
 さて、ご存じのように、きょうは大聖人の伊豆御流罪の日である。
 伊豆といえば、伊豆七島の御蔵みくら島で、きょうから音声同時中継が始まった。美しい新緑と花々に包まれてのスタート、おめでとう!
 弘長元年(一二六一年)五月十二日、大聖人は伊豆に御流罪になり、船守弥三郎ふなもりやさぶろう夫妻が大聖人をお守りした。夫妻へのお手紙には次のように仰せである。
 「日蓮去る五月十二日流罪の時その津にきて候しに・いまだ名をもきをよびまいらせず候ところに・船よりがりくるしみ候いきところに・ねんごろにあたらせ給い候し事は・いかなる宿習なるらん、過去に法華経の行者にて・わたらせ給へるが今末法にふなもり船守の弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給うか
 ──日蓮が去る五月十二日、流罪になって、その津(川奈の海岸の船着き場)に着き、まだ(津の)名も聞き及ばず、船から上がって苦しんでいたのを、あなた方は真心込めてお世話してくださった。これはいかなる宿習(過去からの約束事)でありましょうか。過去に法華経の行者であられた方が、今、末法に船守の弥三郎と生まれ変わって、日蓮をあわれんでくださったのでしょうか──。

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