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日蓮大聖人・池田大作

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学生部・女子部学生局代表勤行会 飛翔の″時″へ力を養え

1992.5.4 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  「精神の大国」インドとの「精神の大道」
 ただ今、一緒に勤行し、お父さま、お母さまの「幸福」「福運」「無事故」、ご一家の「繁栄」を真剣にご祈念した。また先祖代々の追善もさせていただいた。
 大切な諸君であるので、少々語っておきたい。
 先ほど、インドのアスラニ大使がお見えになり、大使のご家族、メノン公使を交え、懇談した。アスラニ大使は、「日本が大好き」という方で、日本を深く理解し、愛してくださっている。今日まで、日印文化交流に尽力してこられた。これまで三度、外交官として日本に赴任されている。今度の赴任は、大使ご自身の希望であったという。
 ある時、大使は、次のように語っておられる。
 「今回、私のほうから赴任を希望しましたのは、私も家族の者も日本が大変好きで、もう一度、日本で仕事をしたいと思ったからなのです」──と。
 また、そうした大使であるだけに、「言い過ぎかもしれませんが、私には、他の一般のインド人の誰よりも日本を理解しているという自負もあります」とも述べておられる。
 日本人の性質の良いところはもちろん、悪いところも知悉しておられる。たとえば、言葉だけで実行が伴わない不誠実さ、アジアの国々に対する傲慢さ等々であろうか──。私は、こうした悪しき体質と率先して戦ってきたつもりである。
2  本年は日印平和条約締結から四十周年。日本がサンフランシスコ講和によって主権を回復して、最初に自主的に結んだ条約である。
 サンフランシスコ条約が「和解と信頼」の条約といわれたのに対し、日印平和条約は「友好と善意」の条約と呼ばれた。日本への寛容の心に貫かれた条約は、日本の外交的自立にとって、まことに意義深い条約となった。この点だけでも日本はインドには大恩があると私は思う。
 また、日本の戦争責任が問われた″東京裁判″においても、インドの代表(パール判事)はただ一国、日本の無罪を主張した。国際法に照らして、冷静に、公正に判断を下した結果であった。
 今後も、私どもはインドとの文化交流をさらに進め、「友好と善意」の輪を幾重にも広げていきたい。それが、恩に報いる道と信ずる。
 諸君も、機会があれば、この「精神の大国」をぜひ訪れてほしい。
 本年二月、インドで会ったある創大生は、ヒンディー語を学ぶためインドに来たと語っていた。「後輩に道を開くため、私はやります!」。凛々しく、信念に瞳を輝かせる姿を私は忘れない。世界の各地に、諸君の先輩は「道を開いて」活躍している。
3  日本での講演の中でアスラニ大使は、インドと日本の共通点について、こう述べておられる。
 「我が国の詩人タゴールは、共通点として(1)家族制度(2)死者や過去への尊敬(3)自然に対する共感を挙げた。
 私は寛容、忍耐力、中庸ちゅうようの精神を挙げたい。具体的にいえば、宗教を認める寛容さ、営々と貯蓄をする気質、子弟に対する教育熱心などはそっくり同じです」と。
 また三年半ほど前(一九八八年十月)、私は、アスラニ大使との会談の席上、文化訪問団の派遣をお約束した。九〇年八月に第一回、翌九一年八月に第二回の青年文化訪問団が実現。そして本年八月には第三回の派遣を予定している。
 さらに「アソカ大王、マハトマ・ガンジー、ネルー展」の開催も予定されている。インドの偉大な三人の指導者に光を当て、広く世界に問うことの意義は大きいと、内外から強い関心が寄せられている。

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