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日蓮大聖人・池田大作

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第五十三回本部幹部会、第八回中部総会 われらの″民衆交響楽″が人類をつつむ

1992.4.26 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  「5.3」祝賀の集いを晴ればれと
 皆さまの団結によって、幾多の苦難を乗り越え、我が学会の″元朝がんちょう″である「五月三日」の祝賀の集いを晴れ晴れと迎えることができた。心から感謝申し上げたい。また、きょうは、第八回の中部総会。素晴らしい晴天のもとでの開催、本当におめでとう!
 ここへ来る途中、幾人かの壮年部の方々が会場へ向かわれるのをお見かけした。これほど暖かい陽気なのに、皆さん、きちんと背広を着こんで、さっそうと歩いておられた。お顔を拝見すると、表情は実にさまざま。せっかくの休日に、「あなた!きょうは総会よ!」と、早くから起こされ、追い出されるように、やってきた方もいたのではないかと思った。本当に、ご苦労さま。
 壮年部の皆さまが、青年部、婦人部の方々とともに、こうして集われること自体、大変なことだ。壮年部の皆さま、ますます、お元気で!
 これだけの元気がふだんもあれば、婦人部は皆、安心なのだが。ともあれ、全世界の学会員を代表する思いで、壮年部の皆さまに「遠いところ、ようこそ!」「本当にご苦労さま!」と、重ねて申し上げたい。
 先ほどは、素晴らしい演奏と合唱を披露していただいた(音楽隊・鼓笛隊・各合唱団代表によるオリジナル曲「凱旋の道」)。「我が学会」の交響曲、交響詩ともいうべき、見事な調べであった。そこで、まず「音楽の国」「音楽の都」として知られるチェコスロバキアの話から入りたい。
2  チェコの国民的名曲、スメタナの「わが祖国」
 四月が終わり、五月の声を聞くころ、チェコスロバキアに、ヨーロッパ随一とも言われる美しい春が訪れる。野山は色鮮やかな花々に包まれ、小鳥たちは喜びの歌をさえずる。そして、毎年五月十二日、春のよそおいにいろどられたプラハの街では、世界的に有名な「プラハの春の音楽祭」が開かれる。ちょうど、学会の″新春″の「五月三日」の季節と同じである。
 この音楽祭の冒頭に、必ず演奏される曲がある。それは、この日に亡くなった″国民音楽の父″スメタナ(一八二四〜一八八四年)の名曲「わが祖国」。この交響詩のなかでも、第二曲「モルダウ」の美しい旋律は特に有名で、世界的に親しまれている。
 先日、創価大学の記念講堂で行われた「4・2記念合唱祭」でも、川崎(神奈川)の合唱団が、見事にこの「モルダウ」を歌ってくださった。大喝采の名演であった。
3  「モルダウ」は、チェコスロバキアを流れるモルダウ川(ヴルタヴァ川)をたたえた曲である。渓流から大河へと水かさを増しつつ、悠久の時を超えて大地を潤しながら、滔々と流れ続けるモルダウ──。私はいつも、「広宣流布」のイメージを重ね合わせながら、この曲を聴いていた。
 モルダウ川は、チェコスロバキアの西部に源を発する。岩々を洗い、林や草原を軽やかに抜け、昼は太陽の光に美しく輝き、夜は月光をキラキラと映しながら走っていく。やがて広々とした流れとなってプラハを通り、ドイツへと進んでいく。きょうは、そのドイツからも代表が参加されている。
 「わが祖国」──この曲が生まれたころ、スメタナの祖国(ボヘミア=現在のチェコスロバキアの西部)は、二百五十年にもわたる他国支配のもとにあった(最終的には約三百年)。民衆は圧政に苦しんでいた。
 スメタナは音楽を通して、愛する″わが祖国″の歴史と自然をたたえ、苦衷のさなかにある人々の「勇気」を鼓舞し、「希望」を贈ろうとした。
 しかもこの曲は、幻聴げんちょうに悩まされ、耳が聞こえなくなるという、音楽家にとって致命的ともいえる状況のなかで作られたのである。「モルダウ」の曲が完成した時、彼の耳は、完全に音を失っていた。
 (交響詩「わが祖国」は、六つの曲で構成され、一八七四年から七九年(五十〜五十五歳)にかけて完成した。聴覚ちょうかく異常の兆候ちょうこうは四十歳のころから現れていたといわれる。第一曲を書き上げると間もなく、両耳の聴覚が完全になくなり、残りの五曲は、超人的な精神力をもって書き上げられた)
 彼は、自分が生み出した調べを、聴くことができなかった。しかし、なんとしても人々を励ましたいという信念の炎は、断じて消えなかった。
 その魂を込めた名曲「わが祖国」は、今なお、チェコスロバキアはもとより、世界中の人々の心をいやし、励まし、感動と喜びで包み続けている。

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