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日蓮大聖人・池田大作

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第五十回本部幹部会、婦人部幹部会 「勇気」が信仰者の神髄

1992.1.26 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  独裁者に立ち向かった「三人のマリア」
 「スーパーサウンズ」の皆さま、世界最高の演奏をありがとう。1・26「SGIの日」を見事な芸術で飾ってくださった。皆さまに、最大の敬意と賛辞を込めて拍手を送りたい。
 ご承知の通り、本日、お迎えしたウエイン・ショーターさん、ラリー・コリエルさん、ケンウッド・デナードさんは、いずれも世界的なジャズの大家である。また、ただ今、演奏していただいた「三人のマリア」という曲は、ポルトガルの三人の女性による同名の著作をもとに、ショーターさんが作曲したものである。
 ここで、この「三人のマリア」の背景について紹介させていただきたい。
2  一九六〇年代、ポルトガルの民衆はファッショ的な独裁者の圧政に苦しんでいた。独裁者の名はサラザール。当時、彼は、アフリカにあったポルトガルの植民地を保持するために、多くの兵士を送り込んでいた。現在のアンゴラやモザンビークなどに当たる地域である。
 独立運動が激しくなり泥沼となった植民地戦争は国民生活を疲弊させ、青年の間では徴兵を逃れるため、国外への亡命が相次いでいた。
 こうした独裁者に抗し、立ち上がった三人の女性がいた。彼女たちは、言論の自由と民主主義、そして女性の権利を率先して主張した。
 女性が本気で立ち上がった時ほど、強いものはない。世間体などにとらわれがちな男性には、とてもかなわない面がある。
 彼女たちの名前は「マリア」。キリスト教圏には珍しくない名前であるが、特に、その名の多いポルトガルにあっては、まさに全ポルトガルの女性を象徴する名前でもあった。一人はジャーナリスト(マリア・テレザ・ホルタ)、一人は作家(マリア・ダ・コスタ・ベーリョ)、一人は社会学者(マリア・イザベル・バレーノ)であった。
 彼女たちは、堕落した独裁者の政府、そして、権力と結託して利益を貪る腐敗した教会を真っ向から糾弾した。言うまでもなく、権力による数々の弾圧が続いた。しかし、彼女たちが灯した小さな革命の火は、時とともに、確実に燃え広がっていった。
 一人の「勇気の炎」は、必ず周囲に燃え広がっていく。「憶病」な心は、湿っているようなものである。
 「勇気の炎」は、まず自分を、そして他人をも温める。心に永遠の「勇気の太陽」を昇らせた人──その人こそ「人生の春」を開く人である。また「民衆の春」を呼ぶ人である。
3  サラザールが没した(一九七〇年)あとも、新たな独裁者(カエターノ政権)が、その体制を受け継ぐ。一九七二年、書簡集『新たな手紙』を出版した彼女たちは思想犯として投獄される。(数カ月後、知識人たちの署名運動によって釈放)
 こうした三人の女性の行動によって、民衆は次第に独裁者の本質に気づき始める。何と卑劣な、何と冷酷な輩なのか──と。
 人を奮い立たせるのは自分の「行動」である。行動の裏づけをもった魂の「叫び」であり、「声」である。観念ではない。立場でも権威でもない。
 ポルトガルの人々は、勇気という最高の武器を得た。悪の本質を見抜いてしまえば、何も恐れることはない。卑しき権威・権力など悠々と見下ろして進んでいける。
 何ものも恐れずに進め──これこそ学会精神の根本である。「信心」の精髄なのである。
 圧政からの自由を求めるレジスタンス運動は、革命の歌とともに、大きい力となり、次第に勢いを増していく。そして、ついに一九七四年四月二十五日、独裁は終焉を告げ、民主化への道が開かれた。
 ポルトガル人は決して、この日を忘れない。″民衆の時代″への開幕を告げる歴史的な日だからである。そして、この記念日とともに、三人の女性の名は、永遠に残り、語りつがれていくことであろう。
 ともあれ、勇気こそ信仰者の真髄である。太陽が不滅であるように、勇気が人生に不滅の価値を刻むのである。
 全国百万人の婦人部が参加する本日の会合のために、こうした意義ある曲を演奏してくださった三人に、もう一度、盛大な拍手を送り、感謝申し上げたい。

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