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日蓮大聖人・池田大作

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荒川、立川文化音楽祭 広宣の聖火を偉大な庶民の都から

1991.12.23 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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1  創価の世界はすべて開花
 きょうは温暖で素晴らしい晴天。すがすがしく澄み渡った青空──。創価学会の「未来」を象徴するような天気である。そして、どこへ行っても、誇らしくはためく″三色旗″。本当にうれしい。晴れがましい。
 文化音楽祭も本当に立派でした。おめでとう!
 「歌」は人に歌われてこそ歌である。皆が歌いやすい。時代のセンスもある。歌って、聴いて、胸が弾む。それでこそ「民衆の歌」である。そうした歌を、これからもどんどん作り、また歌っていきましょう!
 民衆のにぎやかな歌声があるところ、「自由」があり、「躍動」がある。音楽に強制はない。文化に暴力はない。すべて人間性である。すべて「開花」である。それは、我が「創価学会の世界」でもある。リーダーの皆さまの指導、指揮もそうであっていただきたい。
 「強制」や「無理やり」はリーダーとして敗北であり、失格である。その一番の典型が、今の宗門ではないか。絶対にまねをしてはならない。
2  きょうは東京上野池田講堂にも荒川の皆さまが集われている(音声同時中継)。おめでとうございます。
 また立川<区>の文化音楽祭も、立川文化会館で行われている。立川の皆さま、聞こえますか!
 実は立川からも、いろいろと出席の要望や要請、そして″通告″をいただいていた。しかし、一人の人間が同時に二カ所に行くことはできない。私の心は両方に行きたいが、今回は新しい文化会館が完成して初めてでもあり、荒川におじゃまさせていただいた。
 「心」も、そして新聞の扱いも、まったく同じなので、立川の皆さま、どうかご了承いただきたい。
 信心も人生も、真面目が大事である。幸福の財産である。学会ほど真面目な団体はない。心根のよい人々の集いはない。大法のため、広宣流布のため、また人類のために、私ども学会だけが、日蓮大聖人の仰せ通りに尽くしてきた。戦ってきた。だから勝った。広宣流布を大きく推進することができた。
 一方、宗門の今日の混乱と迷走の原因は、要するに″真面目でなかった″という点にあろう。信心も、生活も、実は乱れに乱れていたのである。「無関係」になって喜んでいる人があまりにも多い。
3  ご存じのように、昭和三十二年(一九五七年)夏、私はこの荒川の地で、一週間──八月八日から十四日まで、折伏と指導の大闘争の指揮を執った。戸田先生の最後の夏のことである。どこよりも″広布共戦″の荒川たれ。私とともに″師弟の道″を貫く荒川たれ──。私はそう願い、戦った。荒川は、私の青春時代の思い出の舞台であり、忘れ得ぬ地である。
 また十数年前、私は連日、立川の地にとどまり、広布の指揮を執った。前回の宗門問題の時のことである。多摩方面の要の地と見抜き、ただ一人、立ち上がって厳然と戦った。私には、立川も、決して忘れ得ぬ場所である。
 今、連載中の小説『人間革命』(十二巻)の「涼風りょうふう」の章で、戸田先生との軽井沢の思い出をつづった。実は私が軽井沢に呼ばれたのは、荒川指導のさなかのことであった。当時、私は二十九歳。荒川の地を縦横無尽に駆け巡っていた。
 永遠から見れば、青春は一瞬である。人生も一瞬である。あっという間に過ぎ去ってしまう。
 御書には「極楽百年の修行は穢土えどの一日の功徳に及ばず」と仰せである。その深義はともあれ、平々凡々たる一生よりも、欲望のままに流される人生よりも、たった一日でも、真剣に仏法を求め、広宣流布のために尽くした人生こそ偉大である。「我が日々」「我が人生」はそうありたいと、私は思う。

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