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日蓮大聖人・池田大作

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第1回川崎文化音楽祭 広宣の舞台で戦う人は皆美しい

1991.12.15 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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1  広布の″真舞台″を諸仏は喝采
 見事な文化音楽祭でした。本当におめでとう!
 私はいつも思う。音楽祭などの舞台に立つ友の姿は、最高に凛々しく、美しく、輝いている。それは、一人一人が「責任」を担い、皆の「代表」として、歌い、舞うからにちがいない。多くの同志に見守られての″真剣勝負″の舞台だからにちがいない──と。
 それと同じく、「広宣流布」という″舞台″に舞いゆく皆さまもまた、あふれる使命感で、日々さっそうと生き抜いている。そして、いかなる舞台であっても、諸天善神、三世十方の仏・菩薩に見守られ、その喝采をうけている。だからこそ、最高に美しく、凛々しい。偉大な生命の輝きを放っていける。また、無量の福徳を開いていける。
 ともあれ、川崎といえば、東京と横浜にはさまれた″工場地帯″として有名であったが、きょうは、この地にも素晴らしい「文化」の輝きがあることを、改めて実感した。
 世間の風潮はどうあれ、「充実」のなかにこそ真の「幸福」はある。「偉大なる目標」に向かって「偉大なる人生」を生ききった人が、「偉大なる幸福」の人となる。そして、最高に充実した、最高に生きがいある広宣流布という「偉大なる道」を、全世界、全人類に向かって開き進んでいるのが、我が「創価学会」なのである。
 この仏意仏勅の学会を破壊しようとする罪は無限である。「創価学会を地上からなくしてみせる」「全学会員を、ひざまずかせ、支配してみせる」と豪語した策謀者たちの黒い意図は、完全に失敗した。こうした提婆だいばの策動を、私どもは、永遠に許さず、永遠に戦い抜いてまいりたい。
2  恩師の慈愛「自分を大事に、一人残らず幸せに」
 さて、三十五年前の昭和三十一年(一九五六年)十二月八日、川崎の市民会館(現在は体育館)で、女子部の第四回総会が行われた。
 以前にもお話ししたが、この総会には総本山第六十五世日淳上人も御臨席くださり、「皆様方に日蓮大聖人の御魂が脈々と燃え上っている」「何一つ大聖人様の魂そのままを皆様がうけつがれていないものはない」等と賛嘆してくださった。
 日淳上人をはじめ、歴代上人は厳然と学会の前進を称賛され、励ましを送ってくださっている。
 「天子の一言虚しからず」である。最高の責任者・指導者の言葉には、相応の重みがある。そうした歴代上人の教えに背き、正法広布に励む学会を″破門″するなど、まさに「悪鬼入其身」の姿であろう。
3  この総会に出席された戸田先生は、参加した女子部員に、こう語りかけられた。
 「ここに集まった一万二千の諸君らと会った以上は、私は、みんなしあわせにしてやりたいと思う。そして五年、十年たった後『先生、私はこんなにしあわせになりました』とそばへきてほしいのです」と。
 これが、戸田先生の慈愛であられた。また、それは皆さまへの私の心でもある。
 そして先生は、「広宣流布は、きみらには頼まない」「きみらは自分だけ大事にして、自分がしあわせになりなさい」「だが、やるなといわれればやりたいのは人間の根性だから、やれたらやってもいいのです」と、ユーモアをたたえつつ温かく包容してくださっている。
 「一人も残らず幸福に」──。これこそが真の「仏法者」の心である。願いである。すぐに「堕地獄だじごくだ」とか「慢心まんしんだ」などと、信徒をどなりちらし、残酷ざんこくに圧迫することは、仏法の精神を破壊するものである。
 学会員は、全員が大切な、大切な仏法の「宝」の方々である。その尊い仏子ぶっしである学会員を、何ものにも利用させてはならない。また、断じて利用されてはならない。リーダーの方々は、父として、兄として、また母として、姉として、大切な同志を守りに守っていただきたい。
 お父さん、お母さんといえば、先ほど指導部の方々と少年少女部の皆さんが、「お月さまの願い」を一緒に歌ってくださった。まことに麗しい、「和楽」の象徴のような光景に、私は感動した。川崎の皆さまの熱演に、重ねて御礼申し上げたい。

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