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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部幹部会、文化音楽祭 ついに来た!創価の共の「自由」は満開

1991.12.14 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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1  世界一の王者の行進を永遠に
 皆さまがお元気で、私はうれしい。それこそが私の願いである。
 創価学会は、嵐のなかでも世界晴れの時にも世界一。この王者の行進が、永遠に我が学会の前進の姿である。
 きょうは素晴らしい晴天に恵まれての婦人部幹部会、そして江戸川、飾、足立の文化音楽祭、おめでとう。
 下町の心意気と文化の薫りあふれる「満点」の音楽祭である。″下町の大勝利″、本当におめでとう。
 高尚にベートーヴェンの「歓喜の歌」を歌ったかと思えば、「男はつらいよ」の″とらさん″も(壮年の代表が扮して)応援に駆けつけた。気品高く「創価ルネサンスの歌」(オリジナル曲)もあれば、昔懐かしい「東京ブギ」もあった。衣装も、庶民らしく安い材料のようだが、そんなことを、まったく感じさせない、見事な色彩の演出も素晴らしかった。
 本日も全国で訳百万人の代表が衛星中継をご覧になる予定である。年末のお忙しいなか、本当にご苦労様。
2  「如来秘密神通之力」──仏法は開かれた幸福の法
 さて、私どもが朝夕の勤行で読誦ている法華経の「如来寿量品第十六」の文について少々、述べたい。
 寿量品の中に、「如来秘密。神通之力」(開結四九六㌻)とある。「如来の秘密神通の力」と読む。
 「如来」すなわち「仏」のもつ「秘密」にして「神通」の力とは一体、何であるのか。
 先日も少々、論じたが(十一月十八日、「創立の日」記念SGI代表勤行会)、大聖人は「御義口伝」で次のように仰せである。
 「今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり、つて経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり
 ──今、日蓮(大聖人)およびその門下の元意は、即身成仏(凡夫の身そのままで成仏できる仏の当体である)と開き覚ることを「如来の秘密神通の力」というのである。成仏すること以外に「神通」も「秘密」もないのである。この無作の三身(本来、ありのままの仏の生命、智慧、慈悲の姿)をただ一字をもって得ることができたのである。いわゆる「信」の一字である。ゆえに経文(寿量品)に「我等まさに仏のみことを信受したてまつるべし」(私たちは必ずや仏のお言葉を信受するでありましょう)とある。この「信受」の二字に心を留めるべきである──と。
 「秘密」といい、「神通」といっても、「即身成仏」すなわち、この人生で、このありのままの自分が絶対的幸福を得ること以外にないのだとの御断言であられる。仏法にはそれ以外に、何か特別な神秘的なものがあるのではない。
3  いわんや、神秘めかした格好で民衆の「幸福」を破壊するような聖職者は、断じて大聖人の仏法とは″無関係″なのである。大聖人御自身も″民衆をあざむく神秘主義″と敢然と戦われた。絶対にだまされてはならない。
 「仏語を信受」と経文にあるように、私どもは「仏」のお言葉、御本仏・大聖人の御書を信じている。どこまでも「大聖人根本」であって、途中の人師・論師が、明らかに大聖人に背く言動を始めたら、絶対に従うわけにはいかない。
 だれが、どんなまやかし、トリックを持ち出しても、事実のうえで、大聖人の仏法を曲げようとしていることは万人の目に明らかである。すべては、そうした自己の堕落と謗法を隠し、ごまかし、正当化しようという邪智にすぎないことを、賢明に見破っていただきたい。自分のため、ご一家のために。
 仏法は決して、いわゆる「神秘主義」ではない。「道理」の法である。なかんずく大聖人の仏法は「信」を置くに足る「法」が根本である。「御本尊根本」「御書根本」という、無二の信心にこそ一切の人々の幸福の因が含まれていると仰(おお)せなのである。

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