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日蓮大聖人・池田大作

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創価ルネサンス大勝利記念幹部会 「人間のための宗教」を勇んで世界へ

1991.11.30 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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1  未来の経典には「創価学会」の名が厳然と
 本日は、緊急に″祝賀の集い″があるというので、私も出席させていただいた。全国の皆さま、ご多忙のところ、またお寒いところ、お集まりいただき、申しわけありません。また、本当にご苦労さまです。
 最近は、人間の心が小さくなってしまったのか、何ごとも「話し合い」ができない人が増えたようで、残念なことである。ある人は「幼児性」と言っていたが、子供のすることに、私としては本気になって怒ることもできない。私どもは、ゆったりと、また堂々と、大人の対応、振る舞いをしていきたいものである。
 十一月二十八日(宗門からの「破門通告書」の日付)は、歴史の日となった。
 「十一月」は学会創立の月であり、「二十八日」は、ご承知の通り、法華経二十八品の「二十八」に通じる。期せずして、魂の″独立記念日″にふさわしい日付になったといえようか。
 十一月二十八日(文永七年。同六年説も)付の日蓮大聖人の御書には、次のように仰せである。
 「いたづらに曠野にすてん身を同じくは一乗法華のかたになげて雪山童子・薬王菩薩の跡をおひ仙予・有徳の名を後代に留めて法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところなり
 ──無意味に、荒野に捨てるこの身を、同じことなら、法華経のために捧げ、雪山童子が法を求めて身を投げ、薬王菩薩がひじを焼いて、法華経に供養したあとに続き、また護法のために壮絶に戦い抜いた(在家の)仙予国王や、有徳王のように、我が名を後世にとどめよう。そして次に法華経、涅槃経が説かれる時には、我が名が、その経典に説かれることを願っている──。
 創価学会は、こうした大聖人の仰せ通り、不惜身命で妙法広宣流布を実現してきた。これ以上、折伏・弘教をし、これ以上、世界に正法を宣揚した団体はない。また、いよいよ、これからが本舞台である。
 戸田先生も言われていたが、未来の経典に、「創価学会」の名が厳然と記し残されることは間違いないと確信する。
 (戸田第二代会長は、将来は「創価学会仏」と言われるだろうと語っており、そのことについて、昭和三十七年十月十八日付「聖教新聞」の座談会「学会伝統の″実践の教学″」には、次のようにある。
2  会長(池田会長=当時) 戸田先生がひとことお話しになりましたよ。たとえば、こういう大勢の学会人がいても、将来、将来といっても、これはいつのことになるかわかりませんけれども、経文が、また仏が出て説かれるときには「創価学会仏」という仏の名前で出ると。
 威音王仏いおんのうぶつとかいろいろあるでしょう。そういう立場で「創価学会仏」という仏になるという、そういう意味の、先生のおおせらしいのですよ。これは不思議ですね。
 釈迦の当時だって何人信者がいたかわからないけれども、今度は威音王仏の時だって何人信者がいたかわかりませんよ。実際問題。だけれども、生命論から考えれば、なにも不思議はない。
 秋谷(副理事長=当時) 威音王仏の威音王という名前も、今で考えれば、創価学会というような名前で、当時、あったと考えてよいわけですね。
 会長 そういう代表の仏の人物がいたともいえるし、ひとつは教団があったともいえる。
 (威音王仏とは、法華経の常不軽菩薩品に説かれる仏で、同号の仏が二万億、次々に出現したとされる。最初の威音王仏の像法の末に不軽菩薩が出現した)
3  「宗教」があって「人間」があるのではない。「人間」があって「宗教」があるのである。「人間」が幸福になるための「宗教」である。だが宗門は、この道理を、あべこべにとらえてしまった。その錯覚に、重大な「狂い」が生じた。
 きょうも、ある婦人部の方が言われていた。
 「私たちが、どれほど御供養し、宗門を守ってきたか。その一方で、僧侶は一体、何をしてくれたというのか。病気になっても、見舞いに来てくれるわけでもない。ハガキの一枚もない。火事があったからといって、駆け付けて励ますわけでもない。勤行を教えてくれたわけでもない。的確な信心指導もできない。葬儀に来ても、心からいたむわけでもない。口を開けば、『いい車で迎えにこい』『御供養が足りない』などと言う。『一事が万事』の傲慢ごうまんな態度──あまりにもひどすぎる」と。
 そして「これでは日蓮正宗ではなく、″日蓮邪教″である。その点、学会は、いつも親身になって面倒をみてくれた。すぐに駆け付けてきてくれた。この事実ひとつ見るだけで、正邪はあまりにも明らかです」と言われていた。
 まさに、学会員の率直な気持ちであろう。

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