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日蓮大聖人・池田大作

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創立記念千葉文化友好祭 歴史は「民衆の勝利」を約束

1991.11.16 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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1  イギリス庶民の知恵と心意気
 一年半ぶりに、千葉を訪れることができた。ご招待、ありがとう!文化友好祭、おめでとう!
 また、ご来賓の皆さまに、深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 きょうは、イギリスのロンドンの話から始めたい。千葉の素晴らしさは、今の舞台でよくわかったので。
 第二次世界大戦。侵略者・独裁者のヒトラーから、攻撃が始まる。大戦の初頭、ナチスは、ロンドンを大爆撃。多くの被害が出た。
 あるデパートも、入り口の一部などを破壊された。あくる朝、その入り口のところに大きな看板が立っている。こう書いてあった。「本日より、入り口を拡大いたしました」と。かえって入り口が広がって、皆が入りやすくなりましたよ──というのである。
 まさに庶民の力である。知恵である。凶暴なナチスに対して、庶民は″やるなら、やってみろ!私たちは、断じて正義の戦いを勝ってみせる!″という心意気であった。
 この看板を見ながら、ロンドンっ子が集まって、爆笑するやら、万歳するやら──そういう光景があったという史実がある。
 朗らかな民衆にかなうものはない。どんな権力者にも、民衆を抑え付け、勝利したためしはない。これが歴史の教訓である。
 私どもにも、知らない間にずいぶん″空爆″がある。全部、不発のようだが。しかし、そうしたなかで、かえって窮屈な壁がなくなり、″暗闇″は明るくなり、急速に広々と楽しく、「自由」が広がってきた。
 何があろうと全部、笑いとばして、プラスに転じていく──これが庶民の力、民衆の力ではないだろうか。
2  平和を誓った青春の千葉の思い出
 終戦後まもなく(昭和二十年九月)、私は幕張まくはり──ここ千葉県に″買い出し″に訪れた。当時は、美しい田園と、青い海が広がっていた。十七歳の時である。
 兄四人は戦争にとられて帰ってこない。残されたのは年老いた父と母、そして弟や妹──。肺結核を病んでいた私も、生活のために一生懸命、面倒をみた。
 ただ、病弱で、あまり遠方に行けない。駅のそばの農家に、足を向けた。
 親切なおばさんだった。四十代であろうか、夫婦二人だけの生活のようであった。お子さんが戦地に行って戻ってないのかもしれない。そのためか、体の悪い私を心配して、本当によくしてくださった。そして、六貫目(約二十二・五キロ)ほどであったか、サツマイモを分けていただいた。一貫十円が普通だったが、私は十二円を支払ったものである。その温かな心へのご恩は、今も忘れない。
 当時、私は思った。戦争が憎い。平和でなければならない。だれが、いったい何のために、戦争を起こすのか。庶民は戦争など欲していない。幸福に暮らしたいと願っている。それなのに、大勢の人が地獄の苦しみを味わっている。何かをしなければならない。何ができるのか──これが、私の十七歳の心情であった。
 そして恩師との出会い。牧口先生は、戦争のために獄死された。戸田先生は、二年間、牢に入られた。その方の言うことなら信じられる──それで、私は十九歳で入信した。
 以来、四十数年間、走りに走り、戦いに戦い、前進につぐ前進の日々であった。一日たりとも、私は止まらなかった。そのことは皆さま方もご存じの通りである。
3  「一切衆生の恩」に報いるのが仏法者
 仏法は「一切衆生の恩」を説く。御聖訓には「生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり」──生々世々に、皆、恩ある一切衆生であるから、「皆が仏になってほしい」と願うべきである──と。
 「抜苦与楽ばっくよらく」、すなわち「苦しみを抜き」「楽しみを与える」のが、仏の「慈悲」の働きである。
 仏法は、人を苦しめるものでは絶対にない。人を幸福にするものである。「楽しき人生」「希望の人生」「平和な社会」をつくりゆくためのものである、と私どもは信ずる。
 仏法の世界は宇宙大の世界である。私どもは広々とした心で、世界を思い、人類の行く手を見つめながら、悠々と平和の行進を進めてまいりたい。

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