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全国青年部幹部会 「自由なる精神」の人間復興運動を

1991.10.27 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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1  世界一の青年集団の大躍進を祝福
 SGI(創価学会インタナショナル)の各国リーダーも出席しての、全国の青年部幹部会、おめでとう!
 そして、東京音楽隊軽音楽部の皆さんによる、ソウル・ミュージックの演奏(曲目は「サムデイ・ウィール・オール・ビー・フリー<いつか自由に>」)。素晴らしかった。それぞれ十代、二十代から活躍されている、気鋭のプロの歌手・演奏家の方々である。本当にありがとう!
 これから千葉などでも文化音楽祭(友好祭)が予定されているが、もしできれば、友情出演をお願いしたい。
 きょうは、北陸の総会・音楽祭、対馬(つしま=九州)の家族音楽祭、栃木県の総会・合唱祭、福井の青年平和音楽祭、町田(東京)の文化音楽祭が、それぞれ開かれている。
 全国的に雨模様で、″男子部が集まる会合はいつも雨″と、昔からの伝統を受け継いでいるようだが、どの祭典の会場も心配された影響はなく、晴れ間も見えるなど、はつらつと集まっておられるとうかがった。特に対馬は、きょうの全国の集いの″花形″であろう。各地での、心晴れやかな文化の祭典、本当におめでとう!
 また、全国の衛星中継会場では、第三回の東北青年部総会、10・18「九州青年部の日」記念の集い、10・20「広島青年部の日」記念の勤行会、山口県の男子部総会、東京・東村山圏の青年部総会も開催されている。この会場(創価国際友好会館)にも、東村山からは代表二百人が参加された。全国の皆さん、大変にご苦労さまです。
 さらに、本日から新たに、次の各会館で衛星中継が始まった。
 群馬の沼田会館、城の笠間文化会館、兵庫の龍野平和会館、山崎会館、福崎会館、長野の信州中野会館、松代会館、石川の金沢会館、羽咋はくい会館、七尾会館、珠洲すず会館、富山の黒部会館、魚津会館、射水いみず会館、島根の浜田文化会館、山口の萩会館、香川の西讃せいさん会館、高知の南国文化会館、愛の御荘みしょう会館、徳島の鳴門会館、小松島会館、福岡の大牟田平和会館、佐賀の武雄会館、熊本の宇城うき会館、阿蘇会館(九州白菊講堂)である。
 皆さん、よく映っていますか!おめでとう!
 衛星中継のできる会場も大幅に増えた。そして、きょうは全国で、九十万を超え、百万人にもおよぶ青年部メンバーが集われる予定とうかがった。″世界一の青年集団″の大躍進を、心から祝福申し上げたい。
2  ルネサンスとは人間尊厳の発見
 ご存じのように、明年は「創価ルネサンスの年」と決まった。″ルネサンス(人間復興)″という言葉は、不思議な魅力をもっている。心を揺り動かす新鮮な響きがある。歴史。芸術。哲学。世界。ロマン。あらゆる″人間的″な要素をあわせもった、精神のはなをイメージさせる。
 歴史的に見て、ルネサンスとは「どういうものであったか」「いつごろからを指すのか」「その動因は何か」。これには、さまざまな見解があり、断定的には述べられない。今も、学者の間では議論の多いテーマである。
 一説には、今から約六百年前、十四世紀に活発になったとされるルネサンスの運動。それは、「停滞」から「躍動」へ、「束縛」から「自由」への″大転換″であったと一般的には見られている。
 その転換の本質は何か。スイスの著名な歴史学者・ブルクハルトは、それを、「世界と人間の発見」であったと述べている。
 暗黒時代ともいわれる中世。宗教の権威は人々を縛り上げ、搾取さくしゅし、自由を奪い去っていた。そこでは、一人の人間である前に、どの党派、団体に属しているのかが重んじられた。人は、個性をもった主体的な存在ではなく、いわば匿名とくめい──名前のない存在であったと。
 ルネサンスは、そうした権威の鎖を断ち切った。迷妄の覆いを取り去った。人間に自由の″翼″を与え、望みさえすれば、自分で自分の精神を高められることを教えた。そして、解放された「ルネサンス人」は、自由に歩き、自由に考え、自由に語り始めた。世界の広さと、人間の尊厳を発見した。それが画期的な人間復興、文芸復興の波となり、潮流となっていった。
 ″人間は、自分自身のなかに、あらゆる存在になりうる生命の芽をもつ″。ここに一つの、ルネサンスの人間観があった。──これがブルクハルトの描くルネサンス像である。
 そして今、人間の尊厳と、世界の多様さを見つめつつ、「人間主義」の世紀を切り開いていく──その新しい時代の出発点に立っているのが、学会である。
 これからも、世界へ、世界へと、交流団を派遣し、友情を広げていく。「躍動」へ、「自由」へと、民衆の希望の″翼″を、さらに広げていく。
 ルネサンスとは、過去のものではない。まさに、二十一世紀へ向かう、学会の前進とともに開かれゆく″一大民衆運動″であると確信したい。そして、この″創価のルネサンス″は、″精神革命を経験していない弱さ、貧困さ″を指摘されている日本の風土を、根本的に転換していくものでもある。
3  ルネサンスの時代、歴史を画する天才たちが、ほぼ同時期に登場し活躍した。レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリ等々──。美術作品をはじめとする、彼らの輝かしい業績は、時を超え、国を超えて、豊かな精神文化の光を、今も放ち続けている。
 彼らは、自身の″生命の芽″から、見事に″満開の花″を咲かせた。ちなみに、創価大学の講堂の緞帳どんちょうの図柄は、ラファエロ芸術の最高傑作といわれる「アテナイの学堂」をモチーフに描かれたものである。
 ともあれ、新しき「創価のルネサンス」の時代も、あくまで「一人の人間」が主役である。「人材」がカギを握っている。組織は、その「一人の人間」を守り、最大に力を発揮させていくためにある。
 「自分」が聡明になり、力をつけていくこと。「自分」が人格を鍛え、物事の本質を見極める眼を磨いていくこと。このたゆみない挑戦と努力が、ますます重要になってくる。
 「民衆」の自由なる精神の飛翔ひしょう、個性の開花。その対極には、それを妬み、妨害しようとする反動が必ずある。それに屈すれば、自由の死、個性の死、人生の敗北である。自分自身にしかない、胸中の″生命の芽″を殺すことでもある。何より″生命解放の信仰″の死となってしまう。
 「人間性」が「権威」に打ち勝とうとする闘争の中から、ルネサンスの息吹は生まれた。青年は、戦うことだ。自由奔放に、発想を広げ、行動し、歴史をつくりゆくことだ。
 どうか、一人一人の大切な個性を、満開へ、また満開へと咲かせきっていただきたい。その、創価ルネサンスの花園を、喜びと確信に満ちた世界を、若き諸君の力で、堂々と築き広げていっていただきたい。

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