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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部・青年部合同協議会 人で決まる、人を育てよ

1991.9.21 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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1  民衆繁栄の「万年の城」を築きゆけ
 「人」を育てることほど楽しく、またむずかしいものはない。これほど意義ある、また労多き仕事もない。
 しかし一切は「人」で決まる。育てねばならない。育たねばならない。
 婦人部の皆さまもつねに、お子さまはもちろん、多くの青年を見守り、育んでくださっている。母が青年を育て、育てた青年が次代を担っていく。その時の栄光は、皆さまのものである。
 また青年は、先輩、なかんずく婦人部の皆さまの筆舌に尽くせぬ労苦と真心の結晶で、創価の民衆城ができあがったことを夢にも忘れてはならない。
 何があろうと、絶対に、母を悲しませてはならない。その方々が、一年ごとに、最大に満足し、心から納得し、「ああ、本当に良い人生だった。私は勝った。学会員は世界一の幸福者だ」と思えるような繁栄の道を切り開いていくのが、青年の使命である。私も、その一念で祈り、戦ってきた。
2  きょうは少し雰囲気を変えて、まず日本の古都・京都のお話をしたい。
 京都は、三年後の一九九四年、平安建都――すなわち平安京が建設されてから、千二百年という大きな節を迎える。
 千二百年。決して短い歴史ではない。転変常なき人の世である。栄枯盛衰の波に洗われながら、今なお繁栄していくことは容易ではない。
 学会は六十年。まだ、これからである。そしてわれらが正法を根本に建設しているのは、万年にわたる「民衆勝利の都」「人間文化の城」である。その大いなる戦いの前途も、むろん平坦ではない。
 しかし、確かなる未来に一念を定め、祈り、動いていく時、小賢しい策動も、悪人の野合による迫害も、風の前の塵のようなものである。やがて吹き飛ばされ消えていこう。
 まして現代は、激しい変化の時代である。
 この京都でも、伝統を大切にし、生かしていくことは当然として、いかに新しい栄えの道を開いていくか――この一点に、真剣に英知を結集している。
 どこの世界であれ、伝統の上に安易にアグラをかいているだけでは、時代に取り残されていくばかりである。
 京都では″市民レベルでの国際交流″を重視し、とくに留学生を大切にしていくことが取り組まれているという。
 留学生は、各国の未来の指導者である。
 留学生を大事にすることは、その国の未来を大事にすることである。留学生と友情を結ぶことは、世界に友情を広げることである。その意味でも、わが創価学会の海外交流への期待も、ますます大きいといえよう。
3  「琵琶湖疏水」を開いた青年
 さて、その京都で、今も語り草とされている明治の大事業がある。有名な「琵琶湖疏水」の建設である。(疏水とは運送、給水、濯漑等の目的で、土地を切り開いてつくった水路をいう)
 明治十八年(一八八五年)に着工し、明治二十三年(一八九〇年)に完成。以来、百年の歳月を刻んでいる。
 琵琶湖の水を京都の街に引く――この雄大な構想は、古くは平清盛や豊臣秀吉、徳川家康らも思い描いていたといわれる。しかし、何百年もの間、だれも果たせなかった夢であった。
 この古からの″見果てぬ夢″が、明治になって再浮上した。東京遷都後の当時、政治的中心の意味を失った京都は、人口も減少し衰退の大きな危機に立たされていた。疏水建設は、その復興の突破口として構想されたのである。
 いわば前人未到の大事業。しかし、不可能と思える険難の山を前に、あえて理想を掲げ、苦難の挑戦な開始した先人がいた。立ち上がった青年がいた。彼、田辺朔郎さくお(一八六一年〜一九四四年)は、現在の東京大学工学部の前身にあたる工部大学校に学んだ。その卒業論文で、この「琵琶湖疏水」の計画に取り組んだのである。
 創価大学も本年、いよいよ工学部が開設された。最先端の知識に挑戦し、身につけた俊英の成長が楽しみでならない。

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