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各部代表協議会 「人権ルネサンス」へ今、世界は

1991.9.19 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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1  ソ連のクーデターの失敗を米紙が分析「権力への過信」「民衆を甘くみた」
 初めに、台風18号による各地の被害について、心からお見舞い申し上げたい。
 学会本部でも「災害対策本部」を設置したが、一日も早い復旧と、変毒為薬の前進をお祈り申し上げたい。
 各国への「文化親善交流団」が今年も予定されているが、今月には、北米とヨーロッパヘの交流団が出発する。有意義な、また楽しい大成功の訪問であるよう念願している。
 時代は動いている。私どもも動かねばならない。歴史は前進している。人間も進歩せねばならない。本日は、社会の変化の底流を考えるうえで、何らかの参考になればと思い、何点か語っておきたい。
2  こうした激動の時代の底流を示唆する論調として、先日、アメリカのある幹部から、次のような手紙が寄せられた。ご紹介したい。
 「八月の十九日にソ連でクーデターが起こり、その政変劇は三日間で終わりました。これによって、ある意味では、東欧をはじめ世界の各国が何年もかかって達成してきた秩序の転換が、数日間の短い期間になされたのです。
 しかし、二週間遅れの日本の新聞等を最近読む機会があり、ソ連の危機について報道されている紙面を見比べてみて驚きました。
 アメリカの新聞には″クーデター失敗――民衆の勝利″などの見出しの下に、率直に″上級官僚が民衆を甘くみて、権威でおどかせば、下は従うと思い上がっていた……誤算″とあるのですが、日本の新聞には『ペレストロイカの危機』とか『路線修正は確実』とか『経済政策の失敗』等々、本質を見据えない、評論家口調の報道に終始している印象をうけました」
 たしかに、そういう面もあったかもしれない。激動の時代にあって大事なことは、つねにその変化の「核心」を、研ぎ澄ました眼で見抜いていくことである。
 きょうの夕刊「読売新聞しで紹介されていたが、アメリカの「ロサンゼルス・タイムズ」も、ソ連のクーデターの失敗の理由について、次のように述べている。
 「この愚者(=クーデターの首謀者)の陰謀は、彼らが支配をもくろんでいた人民の反応について、なぜ劇的といってもよいほどの思い違いをしたのか。
 彼らは絶対の権力だと信じていたものによって堕落し、盲目となり、真の権力とは究極的には統治される側の同意に基づいているという事実を忘れていた。
 新しい時代はこうした誤算から生まれるものである。このクーデターの失敗は、ソ連国民の生活を大きく変えるであろう」と。
 民衆の心を忘れ、みずからの権力を過信した「誤算」が、失敗をもたらしたのだ、と。
 ″民衆なんか、どうにでもあやつれる″と蔑視する指導者は、必ずその報いを受けよう。その集団は滅びへの道をひた走ることになる。
3  アメリカと日本の「人権意識」に差
 手紙はさらに続く。
 「以前から気がついていたことですが、日本とアメリカの報道の違い、問題意識の差が大きいように思えます。池田先生がスピーチの中で、たびたびおっしゃっている『日本は物事を経済の次元に偏って見る』という意味のことを、しみじみ考えさせられてしまいます。
 今、アメリカで連日、記事のトップを占めているのは、″トーマス最高裁判事候補の承認問題″であります。なぜかといえば、基本的人権を守る立場にあるアメリカ最高裁の判事の一人を決めるために、アメリカ上院がトーマス判事の適性を審査しているからです。
 アメリカでこの人権問題は、結局、最も弱い立場の人間の権利をどう守るかに帰着します。例えば昔からいわれる、女性とか労働者とかの権利、近くは、黒人などの少数民族の権利、そして現在は、いまだ生まれていない生命の人権、すなわちアボーション(人工中絶)に賛成か反対かの問題などです。
 今、話題のクラレンス・トーマス氏は黒人で、結婚した後、苦学して法律学校に通い、法律家になった人です。
 また現在、人工中絶の受けられる病院は、アボーション反対の活動家の攻撃の的になっています。先日も、ウイチタ市(カンザス州)で、数日間、座り込みの抗議行動がテレビで報道されていました。
 明年の大統領選挙の大きな争点の一つは、この人工中絶問題になるだろうといわれています。こうしたアメリカの、人権をめぐる世論の活発化に比べて、日本の新聞は、津波のように、お金にまつわる問題ばかりを追いかけているように思われます。
 しかし、新しい時代の『カギ』でもある人権問題に、あまりに関心が払われていないことは、まことに寒々と残念なことです」

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